2013年12月30日

宝剣_02

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 阿斗を甲の下に抱いて、趙雲が馬にまたがると、墻の外、附近の草むらなどには早、無数の歩兵が這い寄って、
「この内に、敵方の大将らしいのがいる」
 と、農家のまわりをひしひしと取巻いていた。
 ――が、趙雲は、ほとんど、それを無視しているように、馬の尻に一鞭加え、墻の破れ目から外へ突き出した。
 曹洪の配下で晏明という部将がこれへきた先頭であった。晏明はよく三尖両刃の怪剣を使うといわれている。今や趙雲のすがたを目前に見るやいな、それを揮って、
「待てっ」と、挑みかかったが、
「おれをさえぎるものはすべて生命を失うぞ」
 と、趙雲の大叱咤に、思わず気もすくんだらしく、あっとたじろぐ刹那、鎗は一閃に晏明を突き殺して、飛電のごとく駆け去っていた。
 しかし行く先々、彼のすがたは煙の如く起っては散る兵団に囲まれた。馬蹄のあとには、無数の死骸が捨てられ、悍馬絶叫、血は河をなした。
 時に、一人の敵将が、背に張郃と書いた旗を差し、敢然、彼の道をふさいで、長い鎖の両端に、二箇の鉄球をつけた奇異な武器をたずさえて吠えかかってきた。それは驚くべき腕力と錬磨の技をもって、二つの鉄丸をこもごも抛げつけ、まず相手の得物をからめ取ろうとする戦法だった。
「しまった」と、さしもの趙雲も、この怪武器には鎗を奪られ、さらに応接の遑もないばかり唸り飛んでくる二箇の鉄丸にたじたじと後ずさった。
(――今は強敵と戦って、功を誇っている場合ではない。若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事)
 そう気づいたので趙雲は、急に馬を返して、張郃の猛撃を避けながら馳け出した。
 と、見て、張郃は、
「口ほどもない奴、それでも音に聞ゆる趙雲子龍か。返せっ」
 と、悪罵を浴びせながらいよいよ烈しく追ってきた。
 趙雲の武運がつきたか、ふところにある阿斗の薄命か。――あッと、趙雲の声が、突然、埃につつまれたと思うと、彼の体は、馬もろとも、野の窪坑におち転んでいた。
「得たりや」と、張郃はすぐ馬上から前かがみに、一端の鉄丸を抛りこんだ。ところが、鉄丸は趙雲の肩をそれて坑口の土壁にぶすッと埋まった。
 次の瞬間に、張郃の口から出た声は、ひどく狼狽した叫びだった。粘土質の土壁に深く入ってしまった鉄丸は、いかに彼の腕力をもって鎖を引っ張っても、容易に抜けないからであった。
 その隙に、趙雲は躍り立って、
「天この若君を捨てたまわず、われに青スの剣を貸す!」
 と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。
 後に、語り草として、世の人はみなこういった。
(――その折り、坑のうちから紅の光が発し、張郃の眼がくらんだ刹那に趙雲は彼を仆した。これみな趙雲のふところに幼主阿斗の抱かれていたためである。やがて後に蜀の天子となるべき洪福と天性の瑞兆であったことは、趙雲の翔ける馬の脚下から紫の霧が流れたということを見てもわかる)
 しかし、事実は、紫の霧も、紅の光も、青スの剣があげた噴血であったにちがいない。けれどまた、彼の超人的な武勇と精神力のすばらしさは、それに蹴ちらされた諸兵の眼から見ると、やはり人間業とは思えなかったのも事実であろう。紅の光! ――それは忠烈の光輝だといってもいい。紫の霧! ――それは武神の剣が修羅の中にひいて見せた愛の虹だと考えてもいい。
 ともあれ、青スの剣のよく斬れることには、趙雲も驚いた。この天佑と、この名剣に、阿斗はよく護られて、ふたたび千軍万馬の中を、星の飛ぶように、父玄徳のいるほうへ、またたくうちに翔け去った。



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posted by takazzo at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 赤壁の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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