2013年12月28日

蜂と世子_03

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 孔明は、ねんごろに話した。
「むかし、春秋の時代に晋の献公の夫人には、二人の子があった。兄を申生といい、弟を重耳という」
 例話をひいて、劉gに教えるのである。劉gは、全身を耳にして熱心に聞いていた。
「――ところが、やがて献公の第二夫人の驪姫にもひとりの子が生れた。驪姫はその子に国を継がせたく思い、つねに正室の子の申生や重耳を悪くいっていた。けれど献公が見るに、正室の子はいずれも秀才なので、驪姫が讒言しても、それを廃嫡する気にはなれずにいた……」
「その申生は、さながら、私のいまの境遇とよく似ております」
「――で、驪姫は、春あたたかな一日、献公を楼上に迎えて、簾のうちから春園の景をうかがわせ、自分はひそかに、襟に蜜を塗って申生を園に誘いだしたものです。――すると、多くの蜂が当然、甘い蜜の香をかいで、驪姫の髪や襟元へむらがってきました。……あなやと、なにも知らない申生は驪姫の身をかばいながらその襟を打ったり背を払ったりしました。楼上から見ていた献公はそれを眺めて、怖しく憤りました。驪姫にたわむれたものと疑ったのです。――以来申生を憎むことふかく、年々に子を邪推するようになりました」
「ああ。……蔡夫人もそんな風です。いつかしら、理由なく、私も父の劉表にはうとんじられておりまする」
「一策が成功すると、驪姫の悪は勇気づいて、また一つの悪策をたくらみました。先后の祭のときです。驪姫はそっと供え物に、毒を秘めておいて、後、申生にいうには母上のお供え物を、そのまま厨房にさげてはもったいない。父君におすすめなさいと。申生は驪姫にいわるるまま父の献公へそれをすすめた。ところへ驪姫が入ってきて、外からきた食物を試みず召上がってはいけません――そういって一箇を犬へ投げ与えた。犬は立ちどころに血を吐いて死んだ。献公はうまうま驪姫の手にのって申生を殺してしまわれた」
「ああ、そして弟の重耳のほうは、どうしましたか」
「次には、わが身へくる禍いと重耳は未然に知りましたから、他国へ走って、身をかくしました。そして十九年後、初めて世に出た晋の文公は――すなわちそのむかしの重耳であったのです。……今、荊州の東南、江夏の地は、呉のために黄祖が討たれてから後守る人もなく打捨ててあります。ご世子、あなたが、継母の禍いをのがれたいと思し召すなら、父君に乞うて、そこの守りへ望んで行くべきです。重耳が国を出て身の難をのがれたのと同じ結果を得られましょう」
「先生。ありがとう存じます。gは、にわかになお、生きてゆかれる気がしてきました」
 彼は、幾度も拝謝して、手を鳴らして家臣を呼び、降り口に梯子をかけさせて、孔明を送り出した。
 孔明は立ち帰って、このことを、ありのままに、玄徳に告げると、玄徳も、
「それは良計であった」と、共に歓んでいた。
 間もなくまた、荊州から迎えの使いが来た。玄徳が登城してみると、劉表はこう相談を向けた。
「嫡男のgが、なにを思い出したか、急に、江夏の守りにやってくれと申すのじゃ、どういうものであろうか」
「至極、結構ではありませんか、お膝もとを離れて、遠くへ行くことは、よいご修行にもなりましょうし、また、江夏は呉との境でもあり、重要な地ですから、どなたかご近親をひとり置かれることは、荊州全体の士気にもよいことと思われます」
「そうかなあ」
「総じて、東南の防ぎは、公と御嫡子とで、お計りください。不肖劉備は、西北の防ぎに当りますから」
「……むむ。聞けば近ごろ、曹操も玄武池に兵船を造って、舟手の教練に怠りないという噂じゃ。いずれ南征の野心であろう。切にご辺の精励をたのむぞ」
「どうか、ご安心下さい」
 玄徳は新野へ帰った。



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蜂と世子_02

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 呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。
 南方の天、隆昌の気がみなぎっていた。
 いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍の編制であった。
 造船術も、ここ急激に、進歩を示した。
 大船の建造は旺だった。それをどんどん鄱陽湖にあつめ、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。
 孫権自身もまた、それに晏如としてはいなかった。叔父の孫静に呉会を守らせて、鄱陽湖に近い柴桑郡(江西省・九江西南)にまで営をすすめていた。
 その頃。
 玄徳は新野にあって、すでに孔明を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。
「――はてな。一大事があるといって、荊州から、迎えの急使がみえた。行くがよいか。行かぬがよいか?」
 その日、玄徳は、劉表の書面を手にすると、しきりに考えこんでいた。
 孔明が、すぐ明らかな判断を彼に与えた。
「お出向きなさい。――おそらく、呉に敗れた黄祖の寇を討つためのご評議でしょう」
「劉表に対面した節は、どういう態度をとっていたがよいだろうか」
「それとなく、襄陽の会や、檀渓の難のことをお話しあって、もし劉表が、呉の討手を君へお頼みあっても、かならずお引受けにならないことです」
 張飛、孔明などを具して、玄徳はやがて、荊州の城へおもむいた。
 供の兵五百と張飛を、城外に待たせておき、玄徳は孔明とふたりきりで城へ登った。
 そして、劉表の階下に、拝をすると、劉表は堂に迎えて、すぐ自分のほうから、
「先ごろは襄陽の会で、貴公に不慮の難儀をかけて申しわけない。蔡瑁を斬罪に処して、お詫びを示そうとぞんじたが、当人も諸人も慚愧して嘆くので心ならずもゆるしておいた。どうかあのことは水にながして忘れてもらいたい」と、いった。
 玄徳は、微笑して、
「なんの、あのことは、蔡将軍の仕業ではありません。おそらく末輩の小人輩がなした企みでしょう。私はもう忘れております」
「ときに、江夏の敗れ、黄祖の戦死を、お聞き及びか」
「黄祖は、自ら滅びたのでしょう。平常心のさわがしい大将でしたから、いつかこの事あるべきです」
「呉を討たねばならんと思うが……?」
「お国が南下の姿勢をとると、北方の曹操が、すぐ虚にのって、攻め入りましょう」
「さ。……そこが難しい。……自分も近ごろは、老齢に入って、しかも多病。いかんせん、この難局に当って、あれこれ苦慮すると、昏迷してしまう。……ご辺は、漢の宗族、劉家の同族。ひとつわしに代って、国事を治め、わしの亡いあとは、この荊州を継いでくれまいか」
「おひきうけできません。この大国、またこの難局、どうして菲才玄徳ごときに、任を負うて立てましょう」
 孔明はかたわらにあって、しきりと玄徳に眼くばせしたが、玄徳には、通じないものか、
「そんな気の弱いことを仰せられず、肉体のご健康につとめ、心をふるい起して、国治のため、さらに、良策をお立て遊ばすように」
 とのみ云って、やがて、城下の旅館に退ってしまった。あとで、孔明が云った。
「なぜお引受けにならなかったのですか」
「恩をうけた人の危ういのを見て、それを自分の歓びにはできない」
「――でも、国を奪うわけではありますまいに」
「譲られるにしても、恩人の不幸は不幸。自分にはあきらかな幸い。……玄徳には忍びきれぬ」
 孔明は、そっと嘆じて、
「なるほど、あなたは仁君でいらっしゃる」と、是非なげに呟いた。



 そこへ、取次があった。
「荊州のご嫡子、劉gさまが、お越し遊ばしました」
 玄徳は驚いて出迎えた。
 劉表の世子劉gが、何事があって、訪ねてきたのやら? と。
 堂に迎えて、来意を訊くと、劉gは涙をうかべて告げた。
「御身もよく知っておられるとおり、自分は荊州の世継ぎと生れてはいるが、継母の蔡氏には、劉jがあるので、つねにわしをころしてjを跡目に立てようとしている。……もう城にいては、わしはいつ害されるかわからない。玄徳、どうか助けてください」
「お察し申しあげます。――けれど、ご世子、お内輪のことは、他人が容喙して、どうなるものでもありません。苦楽種々、人の家には誰にもあるもの。それを克服するのは、家の人たるものの務めではありませんか」
「……でも。ほかのことなら、なんでも忍びもしようが、生命が危ないのです。わしは、殺されたくはない」
「孔明。なにかよい思案はないだろうか。ご世子のために」
 孔明は、冷然と、顔を横に振って答えた。
「一家の内事、われわれの知ることではありません」
「…………」
 劉gは、悄然と、帰るしかなかった。玄徳は気の毒そうに送って出て、
「明日、ご世子のお館まで、そっと孔明を使いにやりますから、その時、こういうようにして、彼に妙計をおたずねなさい」と、なにか耳へささやいた。
 翌日、玄徳は、
「きのう世子のご訪問をうけたから、回礼に行かねばならぬが、どうしたのか、今朝から腹痛がしてならぬ。わしに代って、ご挨拶に行ってくれぬか」と、孔明にいった。
 で――孔明は、劉gの館へ出向いた。すぐ帰ろうとしたが、劉gが礼を篤くして、酒をすすめるので、帰ろうにも帰れなかった。
 酒、半酣の頃、
「先生にお越しを賜わったついでに、ぜひご一覧に供えて、教えを仰ぎたい古書があります。重代の稀書だそうです。ひとつご覧くださいませぬか」
 彼の好学をそそって、ついに閣の上に誘った。孔明は、室を見廻して、
「書物はどこですか」と、不審顔をした。
 劉gは、孔明の足もとに、ひざまずいて、涙をたれながら百拝していた。
「先生、おゆるし下さい。あなたをここへ上げたのは、きのうおたずね致した自分の危難を救っていただきたいからです。どうか、死をまぬがれる良計をお聞かせ下さい」
「知らん」
「そんなことを仰っしゃらずに」
「なんで、他家の家庭の内事に立ち入ろう。そんな策は持ち合わせません」
 袂を払って、閣を下りようとすると、いつのまにか、そこの梯を下からはずしてあった。
「あ? ……ご世子には、孔明をたばかられたな」
「先生をおいては、この世に、訊く人がありません。gにとっては、生死のさかいですから……」
「いくらお訊ねあろうと、ない策は教えられません。難をのがれ、身の生命を完うなされたいと思し召すなら、ご自身、智をふるい、勇をおこして、危害と闘うしかないでしょう」
「では、どうしても、先生のお教えは乞えませんか」
「疎きは親しきを隔つべからず。新しきは旧きを離間すべからず。このことばの通りです」
「ぜひもございません」
 gは、ふいに剣を抜いて、自分の手で自分の頸を刎ねようとした。
 孔明は、急に、押しとどめて、
「お待ちなさい」
「離してください」
「いや、良計を教えましょう。それほどまでのご心底なら」
「えっ、ほんとですか」
 gは、剣をおいて、孔明の前にひれ伏し、急に眼をかがやかした。



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蜂と世子_01

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 呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。
 さしも長い年月、ここに、
(江夏の黄祖あり)
 と誇っていた地盤も、いまは痕かたもなく呉軍の蹂躙するところとなった。
 城下に迫ると、この土地の案内に誰よりもくわしい甘寧は、まッ先に駆け入って、
「黄祖の首を、余人の手に渡しては恥辱だ」と、血まなこになっていた。
 西門、南門には、味方が押しよせているが、誰もまだ東門には迫っていない。黄祖はおそらくこの道から逃げだして来るだろうと、門外数里の外に待ち伏せていた。
 やがて、江夏城の上に、黒煙があがり、望閣楼殿すべて焔と化した頃、大将黄祖は、さんざん討ちくずされて、部下わずか二十騎ばかりに守られながら東門から駆けだして来た。
 すると、道の傍らから、鉄甲五、六騎ばかり、不意に黄祖の横へ喚きかかった。甘寧は先手を取られて、
「誰か?」と見ると、それは呉の宿将程普とその家臣たちであった。
 程普が、きょうの戦いに、深く期して、黄祖の首を狙っていたのは当然である。
 黄祖のために、むなしく遠征の途において敗死した孫堅以来、二代孫策、そしていま三代の孫権に仕えて、歴代、武勇に負けをとらない呉の宿将として――
「きょうこそは」と、晴れがましく、故主の復讐を祈念していたことであろう。
 けれど、甘寧としても、指をくわえて見てはいられない。
 出遅れたので、彼はあわてて、腰なる鉄弓をつかみとり、一矢をつがえて、ちょうッと放った。
 矢は、見事に、黄祖の背を射た。――どうと黄祖が馬から落ちたのを見ると、
「射止めた! 敵将黄祖を討った!」
 と、どなりながら駆け寄って、程普とともに、その首を挙げた。
 江夏占領の後、二人は揃って黄祖の首を孫権の前に献じた。
 孫権は、首を地になげうって、
「わが父、孫堅を殺した仇。匣にいれて、本国へ送れ。蘇飛の首と二つそろえて、父の墳墓を祭るであろう」と、罵った。
 諸軍には、恩賞をわかち、彼も本国へひき揚げることになったが、その際、孫権は、
「甘寧の功は大きい。都尉に封じてやろう」といい、また江夏の城へ兵若干をのこして、守備にあてようとはかった。
 すると、張昭が、「それは、策を得たものではありません」と、再考をうながして、
「この小城一つ保守するため、兵をのこしておくと、後々まで、固執せねばならなくなります。しかも長くは維持できません。――むしろ思い切りよく捨てて帰れば劉表がかならず、兵を入れて、黄祖の仕返しを計ってきましょう。それをまた討って、敵の雪崩れに乗じて、荊州まで攻め入れば、荊州に入るにも入りやすく、この辺の地勢や要害は味方の経験ずみですから二度でも三度でも、破るに難いことはありますまい」
 と、江夏を囮として劉表を誘うという一計を案出して語った。
「至極、妙だ」
 孫権も、賛成して、占領地はすべて放棄するに決し、総軍、凱歌を兵船に盛って、きれいに呉の本国へ還ってしまった。
 さてまた。
 檻車にほうり込まれて、さきに呉へ護送されていた黄祖の臣――大将蘇飛は、呉の総軍が、凱旋してきたと人づてに聞いて、「そうだ、以前、自分が甘寧を助けてやったこともあるから……甘寧に頼んでみたら、或いは助命の策を講じてくれるかもしれない」と、ふと旧誼を思い出し、書面を書いて、ひそかにその手渡しを人に頼んだ。



 凱旋の直後、孫権は父兄の墳墓へ詣って、こんどの勝軍を報告した。
 そして功臣と共に、その後で宴を張っていると、
「折入って、お願いがあります」と、甘寧が、彼の足もとに、ひざまずいた。
「改まって、何だ?」と、孫権が訊くと、
「てまえの寸功に恩賞を賜わるかわりとして、蘇飛の一命をお助けください。もし以前に、蘇飛がてまえを助けてくれなかったら、今日、てまえの功はおろか一命もなかったところです」
 と、頓首して、訴えた。
 孫権も考えた。――もし蘇飛がその仁をしていなかったら、今日の呉の大勝もなかったわけだと。
 しかし、彼は首を振った。
「蘇飛を助けたら、蘇飛はまた逃げて、呉へ仇をするだろう」
「いえ、決して、そんなことはさせません。この甘寧の首に誓って」
「きっとか」
「どんな誓言でも立てさせます」
「では……汝に免じて」と、ついに蘇飛の一命はゆるすといった。
 それに従って、甘寧の手引きした呂蒙にも、この廉で恩賞があった。以後――横野中郎将ととなうべしという沙汰である。
 するとたちまち、こういう歓宴の和気を破って、
「おのれッ、動くな」
 と怒号しながら、剣を払って、席の一方から甘寧へ跳びかかってきた者がある。
「あっ、何をするかっ」
 叱咤しつつ、甘寧も仰天して、前なる卓を取るやいな、さっそく相手の剣を受けて、立ち向った。
「ひかえろっ! 凌統っ」
 急場なので、左右に命じているいとまもない。孫権自身、狼藉者をうしろから抱きとめて叱りつけた。
 この乱暴者は、呉郡余杭の人で、凌統字を公績という青年だった。
 去ぬる建安八年の戦いに、父の凌操は、黄祖を攻めに行って、大功をたてたが、その頃まだ黄祖の手についていたこの甘寧のために、口惜しくも、彼の父は射殺されていた。
 そのとき凌統は、まだ十五歳の初陣だったが、いつかはその怨みをすすごうものと、以来悲胆をなだめ、血涙をのみ、日ごろ胸に誓っていたものである。
 彼の心事を聞いて、
「そちの狼藉を咎めまい。孝子の情に免じて、ここの無礼はゆるしおく。――しかし家中一藩、ひとつ主をいただく者は、すべて兄弟も同様ではないか。甘寧がむかしそちの父を討ったのは、当時仕えていた主君に対して忠勤を尽したことにほかならない。今、黄祖は亡び、甘寧は、呉に服して、家中の端に加わる以上――なんで旧怨をさしはさむ理由があろう。そちの孝心は感じ入るが、私怨に執着するは、孝のみ知って、忠の大道を知らぬものだ。……この孫権に免じて、一切のうらみは忘れてくれい」
 主君からさとされると、凌統は剣をおいて、床にうっ伏し、
「わかりました。……けれど、お察し下さい。幼少から君のご恩を受けたことも忘れはしませんが……父を奪われた悲嘆の子の胸を。またその殺した人間を、眼の前に見ている胸中を」
 頭を叩き、額から血をながして、凌統は慟哭してやまなかった。
「予にまかせろ」
 孫権は、諸将と共に、彼をなぐさめるに骨を折った。――凌統はことしまだ二十一の若年ながら、父に従って江夏へおもむいた初陣以来、その勇名は赫々たるものがある。その為人を、孫権も愛で惜しむのであった。
 後。
 凌統には、承烈都尉の封を与え、甘寧には兵船百隻に、江兵五千人をあずけ、夏口の守りに赴かせた。
 凌統の宿怨を、自然に忘れさせるためである。



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鈴音_02

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「時なるかな!」と、孫権は手を打ってよろこんだ。
「いま、黄祖を討つ計を議するところへ、甘寧が数百人を率いて、わが領土へ亡命してきたのは、これ潮満ちて江岸の草のそよぐにも似たり――というべきか、天の時がきたのだ。黄祖を亡ぼす前兆だ。すぐ、甘寧を呼び寄せい」
 こう孫権の命をうけ、呂蒙も大いに面目をほどこして、直ちに、龍湫へ早馬を引っ返して行った。
 日ならずして、甘寧は、呉会の城に伴われてきた。
 孫権は、群臣をしたがえて彼を見た。
「かねて、其方の名は承知しておる。また、出国の事情も呂蒙から聞いた。この上は、ただわが呉のために、黄祖を破るの計は如何に、それを訊きたい。忌憚なく申してみよ」
 孫権はまずいった。
 拝礼して甘寧は答える。
「漢室の社稷は今いよいよ危うく、曹操の驕暴は、日とともにつのりゆきます。おそらく、簒奪の逆意をあらわに示す日も遠くありますまい」
「荊州は呉と隣接しておる。荊州の内情をふかく語ってみよ」
「江川の流れは山陵を縫い、攻守の備えに欠くるなく、地味はひらけて、民は豊かです。――しかしこの絶好な国がらにも、ただ一つ、脆弱な短所があります。国主劉表の閨門の不和と、宿老の不一致です」
「劉表は、温良博学な風をそなえ、よく人材を養い、文化を愛育し、ために天下の賢才はみな彼の地に集まると、世上では申しているが――」
「まさにその通りです。けれどそれはもっぱら劉表の壮年時代の定評で、晩年、気は老い、身に病の多くなるにつれ、彼の長所は、彼の短所となり、優柔不断、外に大志なく、内に衰え、虚に乗じて、閨門のあらそいをめぐり、嫡子庶子のあいだに暗闘があるなど、――ようやく亡兆のおおい得ないものが見えだしました。討つなら今です」
「その荊州に入るには」
「もちろん江夏の黄祖を破るのを前提とします。黄祖は怖るるに足りません。彼もはや老齢で、時務には昏昧し、貨利をむさぼることのみ知って、上下、心から服しておりませぬ」
「兵糧武具の備えはどうか」
「軍備は充実していますが、活用を知らず、法伍の整えなく、これを攻めれば、立ちどころに崩壊するだろうと思います。――君いま、勢いに乗って、江夏、襄陽を衝き、楚関にまで兵をおすすめあれば、やがて、巴蜀を図ることも難しくはございますまい」
「よく申した。まことに金玉の論である。この機を逸してはなるまい」
 孫権はすぐ周瑜に向って、兵船の準備をいいつけた。
 張昭は、憂えて、
「いま、兵を起し給わば、おそらく国中の虚にのって、乱が生じるでしょう。せめて母公の喪のおすみになるまで、国内の充実にお心を傾けられてはどうですか」と、敢て苦言した。
 甘寧は、さえぎって、
「それ故に、国家は今、蕭何の任を、ご辺に附与するのである。乱を憂えられるなら、よく国を守って、後事におつくしあるようねがいたい」
「すでにわが心は決まった。張昭も他事をいうな。一同して、盃を挙げよう」
 孫権は、一言をもって、衆議を抑えた。
 そして、また甘寧にむかい、
「其方をさし向けて、黄祖を討つことは、例えばこの酒の如しじゃ。一気に呑みほしてしまうがよい。もし黄祖を破ったら、その功は、汝のものであるぞ」
 と、盃になみなみと酒をたたえて与えた。
 かくて、周瑜を大都督に任じ、呂蒙を先手の大将となし、董襲、甘寧を両翼の副将として、呉軍十万は、長江をさかのぼって江夏へおしよせた。



 鴻はみだれて雲にかくれ、柳桃は風に騒いで江岸の春を晦うした。
 舳艫をそろえて、溯江する兵帆何百艘、飛報は早くも、
「たいへん!」
 と、江夏に急を告げ、また急を告げてゆく。
 黄祖の驚きはひと通りではない。
 が、――先に勝った覚えがある。
「呉人の青二才ども、何するものぞ」
 蘇飛を大将として、陳就、ケ龍を先鋒として、江上に迎撃すべく、兵船をおし出し、準備おさおさ怠りない。
 大江の波は立ち騒いだ。
 呉軍は、沔口の水面をおもむろに制圧し、市街の湾口へとつめてきた。
 守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の砦を作り、大小の弩弓をかけつらね、一せいに射かけてきた。
 呉の船は、さんざん射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどうと、水底には縦横に大索を張りめぐらしてあることとて、櫓を奪われ、舵を折り、
「大勢、ふたたび不利か」と、一時は、周瑜をして、眉をくもらせたほどだった。
 時に、甘寧は、
「いで。これからだ」と、董襲にもうながし、かねてしめし合わせておいたとおり、決死、敵前に駆け上がるべく、合図の旗を檣頭にかかげた。
 百余艘の早舟は、たちまち、江上に下ろされて、それに二十人、三十人と、死をものともせぬ兵が飛びのった。
 波間にとどろく金鼓、喊声につれて、決死の早舟隊は、無二無三、陸へ迫ってゆく。
 或る者は、水中の張り綱を切りながし、或る者は、氷雨と飛んでくる矢を払い、また、舳に突っ立った弓手は、眼をふさいで、陸上の敵へ、射返して進んで行った。
「防げ」
「陸へ上げるな」
 敵の小舟も、揉みに揉む。
 そして、火を投げ、油をふりかけてくる。
 白波は、天に吼え、血は大江を夕空の如く染めた。
 黄祖の先鋒の大将、陳就は岸へとび上がって、
「残念、舟手の先陣は、破られたか。二陣、陸の柵をかためろ」
 声をからして、左右の郎党に下知しているのを、呂蒙が見つけて、
「うごくなっ」と、近づいた。
 岸へとび上がるやいな、槍をふるって突きかけた。――陳就は、あわてて、
「やっ、呉の呂蒙か」と、剣をふるって、防ぎながら、
「気をつけろ。もう敵は上陸っているぞ」
 と、部下へ注意しながら逃げ惑った。
 こうまで早く、敵が陸地に迫っていようとは思っていなかったらしい。呂蒙は、
「おのれ、名を惜しまぬか」と、陳就を追って、うしろから一槍を見舞い、その仆れたのを見ると、大剣を抜いて、首をあげた。
 舟手の崩滅を救わんものと、大将の蘇飛は、江岸まで馬をすすめてきた。――それと見た呉軍の将士は、
「われこそ」と、功にはやって、蘇飛のまわりへむらがり寄ったが、燈にとびつく夏の虫のように、彼のまわりに、死屍を積みかさねるばかりだった。
 すると、呉の一将に、潘璋という剛の者があった。立ち騒ぐ敵味方のあいだを駆けぬけ、真っ直ぐに、蘇飛のそばへ近づいて行ったかと思うと、馬上のまま引っ組んで、さすがの蘇飛をも自由に働かせず、鞍脇にかかえて、たちまち、味方の船まで帰ってきた。
 そして、孫権に献じると、孫権は眼をいからして、蘇飛を睨みつけ、
「以前、わが父孫堅を殺した敵将はこいつだ。すぐ斬るのは惜しい。黄祖の首と二つ並べて、凱旋ののち父の墓を祭ろう。檻車へほうりこんで本国へさし立てろ」
 と、いって、部下に預けた。



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鈴音_01

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 孫高、傅嬰の二人は、その夜すぐ兵五十人をつれて、戴員の邸を襲い、
「仇の片割れ」と、その首を取って主君の夫人徐氏へ献じた。
 徐氏はすぐ喪服をかぶって、亡夫の霊を祭り、嬀覧、戴員二つの首を供えて、
「お怨みをはらしました。わたくしは生涯他家へは嫁ぎません」と、誓った。
 この騒動はすぐ呉主孫権の耳へ聞えた。孫権は驚いて、すぐ兵を率いて、丹陽に馳せつけ、
「わが弟を討った者は、われに弓を引いたも同然である」
 と、一類の者、ことごとく誅罰した後、あらためて、孫高、傅嬰のふたりを登用し、牙門督兵に任じた。
 また、弟の妻たる徐氏には、
「あなたの好きなように、生涯を楽しんでください」と、禄地を添えて、郷里の家へ帰した。
 江東の人々は、徐氏の貞烈をたたえて、
「呉の名花だ」と、語りつたえ、史冊にまで名を書きとどめた。
 それから三、四年間の呉は、至極平和だったが建安十二年の冬十月、孫権の母たる呉夫人が大病にかかって、
「こんどは、どうも?」と、憂えられた。
 呉夫人自身も、それを自覚したものとみえる。危篤の室へ、張昭や周瑜などの重臣を招いて遺言した。
「わが子の孫権は、呉の基業をうけてからまだ歳月も浅く年齢も若い。張昭と周瑜のふたりは、どうか師傅の心をもって、孫権を教えてください。そのほかの諸臣も、心をあわせて、呉主を扶け、かならず国を失わぬように励まして賜もれ。江夏の黄祖は、むかしわが夫の孫堅を滅ぼした家の敵ですから、きっと冤を報じなければなりませぬ……」
 また、孫権にむかっては、
「そなたには、そなただけの長所もあるが、短所もある。お父上の孫堅、兄君の孫策、いずれも寡兵をひっさげて、戦乱の中に起ち、千辛万苦の浮沈をつぶさにおなめ遊ばして、はじめて、呉の基業をおひらきなされたものじゃが、そなたのみは、まったく呉城の楽園に生れて楽園に育ち、今、三代の世を受けついで君臨しておられる。……ゆめ、驕慢に走り、父兄のご苦労をわすれてはなりませんぞ」
「ご安心ください」
 孫権は、老母の手を、かろく握って、その細さにおどろいた。
「――それから張昭や、周瑜などは、良い臣ですから、呉の宝ぞと思い、平常、教えを聞くがよい。……また、わたくしの妹も、後堂にいる。いまから後は、そなたの母として、仕えなければいけません」
「……はい」
「わたくしは、幼少のとき、父母に早くわかれ、弟の呉景と、銭塘へ移って暮しているうち、亡き夫の孫堅に嫁したのでした。そして四人の子を生んだ。……けれど、長男の孫策も若死してしまい、三男の孫翊も先頃横死してしもうた。……残っているのは、そなたと、末の妹のふたりだけじゃ、……権よ。あのひとりの妹も、よく可愛がってやっておくれ。……よい婿をえらんで嫁がせてくださいよ。……もし、母のことばを違えたら、九泉の下で、親子の対面はかないませんぞ」
 云い終ると、忽然、息をひきとった。
 枕頭をめぐる人々の嗚咽の声が外まで流れた。
 高陵の地、父の墓のかたわらに、棺槨衣衾の美を供えて、孫権はあつく葬った。歌舞音曲の停まること月余、ただ祭祠の鈴音と鳥の啼く音ばかりであった。



 喪の冬はすぎて、歳は建安十三年に入った。
 江南の春は芽ぐみ、朗天は日々つづく。
 若い呉主孫権は、早くも衆臣をあつめて、
「黄祖を伐とうではないか」と評議にかけた。
 張昭はいう。
「まだ母公の忌年もめぐってこないうちに、兵を動かすのは如何なものでしょう」
 周瑜はそれに対して、
「黄祖を伐てとは、母君のご遺言の一つであった。何で喪にかかわることがあろう」と酬いた。
 いずれを採るか、孫権はまだ決しかねていた。
 ところへ、都尉呂蒙がきて、一事件を披露した。
「それがし龍湫の渡口を警備しておりますと、上流江夏のほうから、一艘の舟がただよい来って、二十名ほどの江賊が、岸へ上がって参りました」
 呂蒙はまず、こう順を追って、次のように話したのである。
「――すぐ取囲んで、何者ぞと、取糺しましたところ、頭目らしき真っ先の男がいうには――自分ことは、黄祖の手下で、甘寧字を興覇とよぶ者であるが、もと巴郡の臨江に育ち、若年から腕だてを好み、世間のあぶれ者を集めては、その餓鬼大将となって、喧嘩を誇り、伊達を競い、常に強弓、鉞を抱え、鎧を重ね、腰には大剣と鈴をつけて、江湖を横行すること多年、人々、鈴の音を聞けば……錦帆の賊が来たぞ! 錦帆来! と逃げ走るのを面白がって、ついには同類八百余人をかぞうるに至り、いよいよ悪行を働いていたなれど、時勢の赴くを見、前非を悔いあらため一時、荊州に行って劉表に仕えていたけれど、劉表の人となりも頼もしからず、同じ仕えるなら、呉へ参って、粉骨砕身、志を立てんものと、同類を語らい、荊州を脱して、江夏まで来たところが、江夏の黄祖が、どうしても通しません。やむなく、しばらく止まって、黄祖に従っておりましたが、もとより重く用いられるわけもない。……のみならずです、或る年の戦いに、黄祖敵中にかこまれて、すんでに一命も危ういところを、自分がただ一人で、救い出してきたことなどもあったが、かつて、その恩賞すらなく、あくまで、下役の端に飼われているに過ぎないという有様でした。――しかるにまた、ここに黄祖の臣で蘇飛という人がある。この人、それがしの心事にふかく同情して、或る時、黄祖に向い、それとなく、甘寧をもっと登用されては如何にと――推挙してくれたことがあったのです。すると黄祖のいうには、――甘寧はもと江上の水賊である。なんで強盗を帷幕に用うべき。飼いおいて猛獣の代りに使っておけば一番よろしい。――そう申したので、蘇飛はいよいよそれがしを憐れみ、一夜酒宴の折、右の事情を打明けて――人生いくばくぞや、早く他国へ去って、如かじ、良主をほかに求め給え。ここにいては、足下はいかに忠勤をぬきん出ても、前科の咎を生涯負い、人の上に立つなどは思いよらぬことと教えてくれました。……ではどうしたらいいかを、さらに蘇飛に訊くと、近いうちに、鄂県の吏に移すから、その時に、逃げ去れよとのことに、三拝して、その日を待ち、任地へいく舟といつわって、幾夜となく江を下り、ようやく、呉の領土まで参った者でござる。なにとぞ、呉将軍の閣下に、よろしく披露したまえと――以上、甘寧つぶさに身の上を物語って、それがしに取次ぎを乞うのでございました」
「むむ。……なるほど」
 孫権を始め、諸将みな、重々しくうなずいた。
 呂蒙は、なおこう云い足して、報告を結んだ。
「甘寧といえば、黄祖の藩にその人ありと、隣国まで聞えている勇士、さるにても、憐れなることよと、それがしも仔細を聞いて、その心事を思いやり……わが君がお用いあるや否やは保証の限りではないが、有能の士とあれば、篤く養い、賢人とあれば礼を重うしてお迎えある明君なれば、ともあれ御前にお取次ぎ申すであろうと、矢を折って、誓いを示したところ、甘寧はさらに江上の船から数百人の手下を陸へ呼びあげて――否やお沙汰の下るまで慎んでお待ちおりますと――ただ今、龍湫の岸辺に屯して、さし控えておりまする」



posted by takazzo at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 赤壁の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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