2013年12月25日

立つ鳥の声_02

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 亭の外にひかえていた関羽、張飛、趙雲などの諸将も、みな一面は多感の士である。涙を抑えてことごとくうつ向いていた。
 徐庶は、亭上からその人々を顧みて、
「拙者の去った後は、諸公におかれても、今日以上、一倍結束して、互いに忠義を磨き、名を末代におのこしあるよう、許都の空より祷っておりますぞ」と、いった。
 玄徳はついに嗚咽し、しばしは涙雨の如くだった。そしてなお、ここでも別れるに忍びないで、
「……もう四、五里ほど」と、ともに轡をならべて徐庶を送って行った。
「もう、この辺で……」
 徐庶は、固辞したが、
「いや、もう少し送ろう。互いに天の一方にわかれては、またいつの日か会えよう」
 と、思わず十里ほどきてしまった。
 徐庶の馬もつい進まず、
「ご縁だにあれば、これも一時のお別れになりましょう。お体をお大事にして、徐庶が再び帰る日をお待ちあそばし下さい」と、なぐさめた。
 かくてまた、いつか七、八里もきていた。城外をへだつことかなり遠い田舎である。諸将は帰途を案じて、
「いくら行っても、お名残は尽きますまい。もはやここで」と、一同して馬を控えた。
 玄徳は馬上から手をさしのべた。徐庶もまた手を伸ばした。かたく握りあって、ふたりの眸はしばし無言の熱涙を見交わしていた。
「……では、健やかに」
「あなた様にも」
「おさらば」
 しかも玄徳の手はなお、徐庶の手をかたく握っていてはなさなかった。
 滂沱たる涙とともに、手もまたふるえ哭くかのようだった。
「――おさらばです」
 ついに、徐庶はもぎはなして、駒のたてがみに、面を沈めながら馳け去った。
 諸将は、一斉に、手を振って、そのうしろ影へ、
「さらば」
「さらば――」
 を告げながらどやどや駒をかえし始めた。そして玄徳を包んで元の道へ忙がわしく引っ返した。
 未練な玄徳は、なお時々、駒をたたずませて、徐庶の影を遠く振り向き、
「おお、あの林の陰にかくれ去った。徐庶の影をへだてる林の憎さよ。ままになるならあの林の木々をみな伐り捨てたい! ……」と、声を放って泣いた。
 いかに君臣の情の切なる溢れにせよ、あまりな愚痴をと思ったか、諸将は声を励まして、
「いつまで、詮なきお嘆きを。――いざいざ疾くお帰りあれ」と、促した。
 そして六、七里ほど引っ返してきた頃である。後ろのほうから、
「おうーい。おういっ」と、呼ぶ声がする。
 見れば、こはいかに、彼方から馬に鞭打って追いかけてくるのは、徐庶ではないか。徐庶が帰ってきたではないか。
(さては彼も、別れ切るに忍びず、ついに志を変えて戻ってきたか)
 人々は、直感して、どよめき迎えた。
 すると徐庶は、そこへ近づいてくるやいな、玄徳の鞍わきへ寄って、早口にこう告げた。
「夜来、心みだれて麻のごとく、つい、大事な一言をお告げしておくことを忘れました。――彼方、襄陽の街を西へへだつこと二十里、隆中という一村落があります。そこに一人の大賢人がいます。――君よ。いたずらなお嘆きをやめて、ぜひぜひこの人をお訪ねなさい。これこそ、徐庶がお別れの置き土産です」
 云い終ると、徐庶はふたたび元の道へ、駒を急がせた。



 隆中。
 襄陽の西二十里の小村落。
 そんな近いところに?
 玄徳は、疑った。
 茫然――つい茫然と聞き惑っていた。
 そのまに、徐庶の姿はもう先へ遠ざかりかけていた。
 玄徳は、はっと、われに返って、思わず手とともに大声をあげた。
「徐庶っ、徐庶っ。もうしばし待て。待ってくれい」
 徐庶はまた、駒を返してきた。玄徳のほうからも馬をすすめて、
「隆中に、賢人ありとは、かつてまだ聞いていなかった。それは真実のことか」と、念を押した。
 徐庶は答えて、
「その人は、極めて、名利に超越し、交わる人たちも、限られていますから、彼の賢を知るものは、ごく少数しかないわけです。――それに、君には、新野の地にもまだ日浅く、周囲には荊州の武弁、都県の俗吏しか近づいていませんから、ご存じないのは当然です」
「その人と、ご辺との縁故は」
「年来の道友です」
「経綸済世の才、ご辺みずから、その人と比しては?」
「拙者ごときの類ではありません。――それを今日の人物と比較することは困難で、古人に求めれば、周の太公望、漢の張子房などなら、彼と比肩できるかもしれませぬ」
「ご辺と友人のあいだならば、願うてもないこと、旅途を一日のばして、玄徳のために、その人を新野へ伴うてはくれまいか」
「いけません」
 にべもなく、徐庶は、顔を横に振った。
「どうして、彼が、拙者の迎えぐらいで出て参るものですか。――君ご自身、彼の柴門をたたいて、親しくお召し遊ばさねばだめでしょう」
 聞くとなお、玄徳は喜色をたたえて云った。
「ねがわくば、その人の名を聞こう。――徐庶、もっとつまびらかに語り給え」
「その人の生地は瑯琊陽都(山東省・泰山南方)と聞き及んでおります。漢の司隷校尉、諸葛豊が後胤で、父を諸葛珪といい、泰山の郡丞を勤めていたそうですが、早世されたので、叔父の諸葛玄にしたがって、兄弟らみなこの地方に移住し、後、一弟と共に、隆中に草廬をむすび、時に耕し、時に書をひらき、好んで梁父の詩をよく吟じます。家のあるところ、一つの岡をなしているので里人これを臥龍岡とよび、またその人をさして臥龍先生とも称しています。――すなわち、諸葛亮字は孔明。まず当代の大才といっては、拙者の知る限りにおいて、彼をおいては、ほかに人はありません」
「……ああ。いま思い出した」
 玄徳は肚の底から長息を吐いて、さらにこう訊ねた。
「それで思い当ることがある。いつか司馬徽の山荘に一夜を送った時、司馬徽のいうには、いま伏龍鳳雛、二人のうちその一人を得れば、天下を定めるに足らんと。――で、自分が幾度か、その名を訊ねてみたが、ただ好々とばかり答えられて、明かされなかった。――もしや、諸葛孔明とはその人ではあるまいか」
「そうです。伏龍、それがすなわち孔明のことです」
「では、鳳雛とは、ご辺のことか」
「否! 否!」
 徐庶はあわてて、手を振っていった。
「鳳雛とは襄陽の龐統、字を士元という者のこと。われらごときの綽名ではありません」
「それではじめて、伏龍、鳳雛の疑いも晴れた。ああ知らなかった! 現在、自分も共に住むこの山河や市村の間に、そんな大賢人が隠れていようとは」
「では、かならず孔明の廬をお訪ねあそばすように」
 徐庶は、最後の拝をして、一鞭、飛ぶが如く、許都の空へと馳け去った。



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立つ鳥の声_01

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 次の日の朝まだき。
 徐庶は小鳥の声とともに邸を出ていた。ゆうべは夜もすがら寝もやらずに明かしたらしい瞼である。今朝、新野の城門を通った者では、彼が一番早かった。
「単福ではないか。いつにない早い出仕。何事が起ったのか」
 玄徳は、彼をみて、その冴えない顔色に、まず、憂いをともにした。
 徐庶は、面を沈めたまま、黙拝また黙拝して、ようやく眉をあげた。
「ご主君。あらためて、今日、お詫びしなければならないことがございます」
「どうしたのか」
「実は、単福と申す名は、故郷の難をのがれてきたときの仮名です。まこと私は、潁上の生れ徐庶、字を元直と申すものです。初め、荊州の劉表は当代の賢者なりと聞いて、仕官に赴きましたが、ともに道を論じても、実際の政治を見ても、無用の凡君なりと知りました。で、一書をのこして、同地を去り、悶々、司馬徽が山荘に行って、事の次第を語りましたところ、水鏡先生には、拙者を叱って、――汝、眼をそなえながら、人を見るに何たる不明ぞや。いま新野に劉予州あり、行いて予州に仕えよ――とのおことばでした」
「…………」
 玄徳は心のうちで、さてはと、過ぐる夜の水鏡山荘を思いうかべ、その折、主と奥で語っていた深夜の客をも思い合わせていた。
「――で、拙者は、狂喜しました。さっそく新野に行きましたが、なんの手づるとてない素浪人、折もあれば、拝姿の機会あるべしと、日々、戯歌をうたって、町をさまようておりました。そのうちに、念願が届いて、ついにわが君に随身の機縁を得、なお素姓も定かならぬそれがしを、深くお信じ下されて、軍師の鞭を賜わるなど、過分なご恩は忘れんとしても忘れることはできません。――士は己を知る者の為に死す、以来、心ひそかに誓っていた心は、それ以外にないのでした」
「…………」
「ところが。……これ、ご覧下さりませ」と、徐庶は母の文を取りだして、玄徳に示しながら、
「かくの如く、昨夜、老母より手紙が参りました。愚痴には似たれど、この老母ほど、世に薄命なものはございません。良人には早く別れ、やさしき子には先立たれ、いまは拙者ひとりを、杖とも力ともしておるのでした。しかるに、この文面によれば、許都に囚われて、明け暮れ悲嘆にくれておるらしゅうございます。元来、自分は幼年から武芸が好きで、郷里におれば郷党と喧嘩ばかりし、罪を得ては流浪するなど、母親に心配ばかりかけてきました。――それ故つねに心のうちでは、不孝を詫びておりまする。母を思うといても立ってもいられないのです。……実に実に……申し上げにくい儀にはござりますが、どうぞ拙者に、しばらくのお暇をおつかわし下さい。許都へ行って母をなぐさめたいのです。母に老後の安心を与え、母の行く末を見終りましたら、かならず再び帰ってきます。――わが君さえ棄て給わずば、きっと帰参いたしますゆえ、それまでのお暇をいただきたいのでございまする」
「ああ、よいとも……」
 玄徳は快く承諾した。彼ももらい泣きして、眼には涙をいっぱいたたえていた。
 玄徳にもかつては母があった。世の母を思うとき、今は亡きわが母を憶わずにいられない。
「なんで御身の孝養を止めよう。母います日こそ尊い。くれぐれ恩愛の道にそむき給うな」
 終日、ふたりは尽きぬ名残を語り暮していた。
 夜に入っては、幕将すべてを集めて、彼のために餞行の宴を盛んにした。餞行の宴――つまり送別会である。



 一杯また一杯、別れを惜しんで、宴は夜半に及んだ。
 けれど徐庶は、酔わない。
 時折、杯をわすれて、こう嘆じた。
「ひとりの母が、許都に囚われたと知ってからは、粟にも粟の味わいなく、酒にも酒の香りはありません。金波玉液も喉にむなしです。人間、恩愛の情には、つくづく弱いものだと思いました」
「いや、無理もない。まだ主従の日も浅いのに、いまご辺と別れるにのぞんで、この玄徳ですら、左右の手を失うような心地がする。龍肝、鳳髄も舌に甘からずです……」
 いつか、夜が白みかけた。
 諸大将も、惜別のことばを繰返しながら、最後の別杯をあげて、各〻、休息に退がった。
 まどろむほどの間もないが、牀に寄って、玄徳もひとり居眠っていると、孫乾がそっと訪ねて、
「わが君。どう考えても、徐庶を許都へやるのは、大きな不利です。あのような大才を、曹操の所へわざわざ送ってやるなど、愚の至りです。何とか彼をお引きとめになったら、如何ですか。今のうちなら、いかなる策も施せましょう」と、囁いた。
 玄徳は、黙然としていた。
 孫乾は、なお語を強めて、
「それのみならず、徐庶は、味方の兵数、内状、すべてに精通していますから、その智を得て、曹操の大軍が襲せてきたら、如何とも防ぎはつきますまい」
「…………」
「禍を転じて、福となすには、徐庶をこの地に引きとどめ、益〻、防備を固めるにあります。必然、曹操は、徐庶に見切りをつけて、その母を殺すでしょう。しかる時には、徐庶にとって、曹操は母の仇となりますから、いよいよ敵意を励まして、彼を打ち敗ることに、生涯を賭けるにちがいありません」
「だまれ」
 玄徳は、胸を正した。
「いけない。そんな不仁なことは自分にはできない。――思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用いるなど、君たるもののすることか。たとい、玄徳が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じてできぬ」
 彼は、身支度して、早くも帳裡から出て行った。馬をひけ、と侍臣へ命じる。小禽は朝晴を歌っていた。けれど玄徳の面は決して今朝の空のようではない。
 関羽、張飛などが騎従した。玄徳は城外まで、徐庶の出発を見送るつもりらしい。人々はその深情に感じもし、また徐庶の光栄をうらやみもした。
 郊外の長亭まで来た。徐庶は恐縮のあまり、
「もう、どうぞここで」と、送行を辞した。
「では、ここで別れの中食をとろう」と、一亭のうちで、また別杯を酌んだ。
 玄徳は、しみじみと、
「御身と別になっては、もう御身から明らかな道を訊くこともできなくなった。けれど、誰に仕えても、道に変りはない。どうか新しい主君にまみえても、よく忠節を尽され、よく孝行をして、士道の本分を完うされるように」と、繰返していった。
 徐庶はなみだを流して、
「おことば有難う存じます。才浅く、智乏しい身をもって、君の重恩をこうむりながら、不幸、半途でお別れのやむなきに至り、慚愧にたえません。母を養うねがいは切々にありますが、曹操にまみえて、どう臣節を保てましょうか、自信は持ち得ません」
「自分も、ご辺という者を失っては、何か、大きな気落ちを、どうしようもない。いっそ、現世の望みを断って、山林にでも隠れたい気がする」
「かいなきことを仰せられますな、それがし如き菲才を捨てて、より良き賢士をお招きあれば、ご武運はさらに赫々たるものです」
「ご辺に優る賢士など、おそらく当代には求められまい。絶対に、ないといえよう」
 玄徳は沈痛な語気でいった。――それくらいなら何もこのように落胆はしないという風に。



posted by takazzo at 07:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 孔明の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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