2013年12月10日

十面埋伏_03

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 逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。
 しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い、続々、落伍してしまう。
「あっ? 父上、どうなされたのですか」
 遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら駒を寄せた。
「兄さん! 大変だっ、待ってくれい」
 ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。
 袁譚、袁煕の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引返してきた。全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。
 老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけてきたため、心身疲労の極に達し、馬のたてがみへうつ伏したまま、いつか、口中から血を吐いていたのであった。
「父上っ」
「大将軍っ」
「お気をしっかり持って下さい」
 三人の子と、旗下の諸将は、彼の身を抱きおろして懸命に手当を加えた。
 袁紹は、蒼白な面をあげ、唇の血を三男にふかせながら、
「案じるな。……何の」と、強いて眸をみはった。
 すると、はるか先に、何も知らず駆けていた前隊が、急に、雪崩を打って、戻ってきた。
 強力な敵の潜行部隊が、早くも先へ迂回して、道を遮断し、これへ来るというのである。
 まだ充分意識もつかない父を、ふたたび馬の背に乗せて、長男袁譚が抱きかかえ、それから数十里を横道へ、逃げに逃げた。
「……だめだ。苦しい。……おろしてくれい」
 袁譚の膝で、袁紹のかすかな声がした。いつか白い黄昏の月がある。兄弟と将士は、森の木陰に真黒に寄り合った。
 草の上に、戦袍を敷き、袁紹は仰向けに寝かされた。――にぶい眸に、夕日が映っている。
「袁尚。袁譚も……袁煕もおるか。わしの天命も、尽きたらしい。そちたち兄弟は、本国に還り、兵をととのえて、ふたたび、曹操と雌雄を決せよ。……ち、ちかって、父の怨みを散ぜよ。いいか、兄弟ども」
 云い終ると、かっと、黒血を吐いて、四肢を突張った。最後の躍動であった。
 兄弟は号泣しながら、遺骸を馬の背に奉じて、なお本国へ急いだ。そして冀州城へ入ると、袁紹は陣中に病んで還ったと触れ、三男袁尚が、仮に執政となり、審配その他の重臣がそれを扶けた。
 次男の袁煕は幽州へ、嫡子袁譚は青州に、それぞれ守るところへ還り、甥の高幹も、
「かならず再起を」と約して、ひとまず并州へと引揚げた。
 ――かくて大捷をえた曹操は、思いのまま冀州の領内へ進出してきたが、
「いまは稲の熟した時、田を荒らし、百姓の業をさまたげるのは、いかがなものでしょう。ことに味方も長途に疲れ、後方の聯絡、兵糧の補給は、いよいよ困難を加えますし、袁紹病むといえども、審配、逢紀などの名将もおること、これ以上の深入りは、多分に危険もともなうものと思慮せねばなりません」と、諸将みな諫めた。
 曹操は釈然と容れて、
「百姓は国の本だ。――この田もやがて自分のものだ。憐れまないで何としよう」
 一転、兵馬をかえして、都へさして来る途中、たちまち相次いで来る早馬の使いがこう告げた。
「いま、汝南にある劉玄徳が、劉辟、龔都などを語らって、数万の勢をあつめ、都の虚をうかがって、にわかに攻め上らんとするかの如く、動向、容易ならぬものが見えまする!」



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十面埋伏_02

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 或る日、曹操の陣所へ、土民の老人ばかりが、何十人もかたまって訪ねてきた。髪の真白な者、山羊のような鬚を垂れた者、杖をついた者、童顔の翁など、ぞろぞろつながって、
「丞相へお祝いをのべにきましたのじゃ」と、卒へいう。
 卒の取次を聞くと、曹操はすぐ出てきた。そして一同に席を与え、
「おまえ達は、幾歳になるか」と、訊ねた。
 一人は百四歳と答える。一人は百二歳という。最低の者でも八十、九十歳だった。
「めでたい者達だ」と、曹操は、酒を飲ませたり、帛を与えたりした。
 そしてなお、いうには、
「予は老人が好きだ、また老人を尊敬する。なぜなら、多難な人生を、おまえ達の年齢まで生きてきただけでも大変なものじゃないか。生きてきたというだけでも充分に尊敬に値するが、また、悪業をやってきた者では、そこまで無事でいるわけがない。だから高齢者はすべて善民であり、人中の人である」
 老人達はすっかり歓んでしまった。百何歳という中の一翁が、謹んで答えた。
「いまから五十年前――まだ桓帝の御宇の頃です。遼東の人で殷馗という予言者が村へきたとき申しました。近頃、乾の空に黄星が見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿する兆じゃと。……その後、村は袁紹の治下になって悪政に苦しめられ、いつまでこんな世がつづくのかと思っていましたところ、まさに今年は、殷馗の予言した五十年目にあたりますのじゃ。そこで一同打ち揃って、お歓びに参ったわけでござりまする」
 と、たずさえてきた猪や鶏を献物に捧げ、箪食壺漿して、にぎやかに帰った。
 曹操は、軍令を出して、

一、農家耕田ヲ荒ス者ハ斬
一、一犬一鶏タリト盗ム者ハ斬
一、婦女ニ戯ルル者ハ斬
一、酒ニミダレ火ヲ弄ブ者ハ斬
一、老幼ヲ愛護シ仁徳ヲ施スハ賞ス

 と、諸軍に法札を掲げさせた。
「善政来!」
「泰平来!」
 土民が彼を謳歌したことはいうまでもない。ために彼の軍はその後、兵糧や馬糧にも困らなかったし、しばしば土民から有利な敵の情報を聞くこともできた。
 敵の袁紹は、捲土重来して、四州三十万の兵を催し、ふたたび倉亭(山東省陽谷県境)のあたりまで進出してきたと早くも聞えた。
 曹操も全軍を押し進め、戦書を交わして、堂々と出会った。
 開戦第一の日。
 袁紹は一人の甥と、三人の子をうしろに従え、陣前へ出て曹操へ呼びかけた。
 曹操は、颯爽と、鼓声に送られて、姿を示し、
「世に無用なる老夫。なお、曹操の刃をわずらわさんとするか」と、罵った。
 袁紹は怒って、直ちに、「世に害をなすあの賊子を討てッ」と、左右へ叱咤した。
 三男の袁尚が、父の眼に、手柄を見せようものと、声に応じて、曹操へ討ってかかる。
 曹操は、その弱冠なのに、眼をみはって、
「あわれ、この青二才は、何者か」
 と、うしろへ訊いた。
「袁紹の子三男袁尚です。それがしが承らん」
 と、鎗をひねって、躍りでた者がある。徐晃の部下、史渙だった。
 彼の鋭い鎗先に追われて、袁尚はたちまち逃げだした。のがさじと、史渙は追いまくる。すると袁尚はしり眼に振向いて、矢ごろをはかり、丁と弓弦を切って、一矢を放った。
 矢は、史渙の左の目に立った。
 どうっと、転び落ちる土煙とともに、袁紹以下、旗下達も、声をあわせて、御曹司袁尚の手柄をどっと賞めたたえた。



 我が子の武勇を眼のあたり見て、袁紹も大いに意を強めた。
 その装備においても、兵数の点でも、依然、河北軍は圧倒的な優位を保持していた。接戦第一日も、二日目も、さらにその以後も、河北軍は連戦連捷の勢いだった。
 曹操は敗色日増しに加わる味方を見て、
「程c、何としたものだろう」とかたわらの大将にはかった。
 程cは、この時、十面埋伏の計をすすめたといわれている。
 曹操の軍は、にわかに退却を開始し、やがて黄河をうしろに、布陣を改めた。
 そして部隊を十に分け、各〻、緊密な聯絡をもって、迫りくる敵の大軍を待っていた。
 袁紹はしきりに物見を放ちながら、三十万の大軍を徐々に進ませてきた。
 ――敵、背水の陣を布く!
 と聞いて、河北軍も、うかつには寄らなかったが、一夜、曹操の中軍前衛隊の許褚が、闇に乗じて、味方を奇襲してきたので、
「それッ、包囲せよ」と、五寨の備えは、ここに初めて行動を起して、許褚の一隊を捕捉せんものと、引っ包んで、天地をゆるがした。
 許褚は、かねて計のあることなので、戦っては逃げ、戦っては逃げ、ついに黄河の畔まで、敵を誘い、敵の五寨の備えをある程度まで変形させることに成功した。
「うしろは黄河だ。背水の敵は死物狂いになろう。深入りすな」
 と袁紹父子が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした時は、すでに彼らの司令本部も、五寨の中核からだいぶ位置を移して、前後の連絡はかなり変貌していたのであった。
 突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、かねて曹操の配置しておいた十隊の兵が、鯨波をあげて起った。
「大丈夫だ」
「なんの、さわぐことはない」
 袁紹父子は、最後に至るまで総司令部と敵とのあいだに、分厚な味方があり、距離があることを信じていた。
 ――何ぞ知らん。彼の信じていた五寨の備えは、すでに間隙だらけであったのである。
 またたく間に、味方ならぬ敵の喊声はここに近づいていた。しかも、十方の闇からである。
「右翼の第一隊、夏侯惇」
「二隊の大将、張遼」
「第三を承るもの李典」
「第四隊、楽進なり」
「第五にあるは、夏侯淵」
「――左備え。第一隊曹洪」
「二隊、張郃、三、徐晃。四、于禁。五、高覧」
 と、いうような声々が潮のように耳近く聞かれた。
「すわ。急変」と、総司令部はあわてだした。
 どうしてこう敵が急迫してきたのか、三十万の味方が、いったいどこで戦っているのか。皆目、知れないし、考えている遑などもとよりなかった。
 袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げだしていた。
 うしろに続く旗下の将士も、途中敵の徐晃や于禁の兵に挟まれて、さんざん討死を遂げてしまった。
 いや彼ら父子の身も、いくたびか包まれて、雑兵の熊手にかかるところだった。
 馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも倉亭まで逃げ走ってきて、味方の残存部隊に合し、ほっとする間もなく、ここへも曹洪、夏侯惇の疾風隊が、電雷のごとく突撃してきた。
 次男の袁煕は、ここで深傷を負い、甥の高幹も、重傷を負った。
 夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ――翌る日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。



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十面埋伏_01

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 袁紹はわずか八百騎ほどの味方に守られて、辛くも黎陽まで逃げのびてきたが、味方の聯絡はズタズタに断ち切られてしまい、これから西すべきか東すべきか、その方途にさえ迷ってしまった。
 黎山の麓に寝た夜の明け方ごろである。
 ふと眼をさますと。
 老幼男女の悲泣哀号の声が天地にみちて聞えた。
 耳をすましていると、その声は親を討たれた子や、兄を失った弟や、良人を亡くした妻などが、こもごもに、肉親の名を呼びさがす叫びであった。
「逢紀、義渠の二大将が、諸所のお味方をあつめて、ただ今、ここに着きました」
 旗下の報らせに、袁紹は、
「さては、あの叫びは、敗残のわが兵を見て、その中に身寄りの者がありやなしやと、案じる者どもの声だったか……」と、思いあわせた。
 しかし逢紀、義渠の二将が追いついてくれたので、彼は蘇生の思いをし、冀州の領へ帰って行ったが、その途々にも、人民たちが、
「もし田豊の諫めをお用いになっていたら、こんな惨めは見まいものを」
 と、部落を通っても、町を通っても、沿道に人のあるところ、必ず人民の哀号と恨みが聞えた。
 それもその筈で、こんどの官渡の大戦で、袁紹の冀北軍は七十五万と称せられていたのに、いま逢紀、義渠などが附随しているとはいえ、顧みれば敗残の将士はいくばくもなく、寥々の破旗悲風に鳴り、民の怨嗟と哀号の的になった。
「田豊。……ああそうだった。実に、田豊の諫めを耳に入れなかったのが、わが過ちであった。なんの面目をもって彼に会おうか」
 袁紹がしきりと悔いわびるのを聞いて、田豊と仲のよくない逢紀は、冀北城に近づくと、やがて彼が袁紹に重用されようかと惧れて、こう讒言した。
「城中からお迎えのため着いた人々のはなしを聞くと、獄中の田豊は、お味方の大敗を聞いて、手を打って笑い、それ見たことかと、誇りちらしているそうです」
 またしても袁紹は、こんな讒言の舌にうごかされて、内心ふたたび田豊を憎悪し、帰城次第に、斬刑に処してしまおうと心に誓っていた。
 冀州城内の獄中に監せられていた田豊は、官渡の大敗を聞いて沈吟、食もとらなかった。
 彼に心服している典獄の奉行が、ひそかに獄窓を訪れてなぐさめた。
「今度という今度こそ、袁大将軍にも、あなたのご忠諫がよく分ったでしょう。ご帰国のうえは、きっとあなたに謝して、以後、重用遊ばすでしょう」
 すると田豊は顔を振って、
「否とよ君。それは常識の解釈というもの。よく忠臣の言を入れ、奸臣の讒をみやぶるほどなご主君なら、こんな大敗は求めない。おそらく田豊の死は近きにあろう」
「まさか、そんなことは……」と、典獄もいっていたが、果たして、袁紹が帰国すると即日、一使がきて、
「獄人に剣を賜う」と、自刃を迫った。
 典獄は、田豊の先見に驚きもし、また深く悲しんで、別れの酒肴を、彼に供えた。
 田豊は自若として獄を出、莚に坐って一杯の酒を酌み、
「およそ士たるものが、この天地に生れて、仕える主を過つことは、それ自体すでに自己の不明というほかはない。この期に至って、なんの女々しい繰言を吐かんや」
 と、剣を受けて、みずから自分の首に加えて伏した。黒血大地をさらに晦うし、冀州の空、星は妖しく赤かった。田豊死すとつたえ聞いて、人知れず涙をながした者も多かった。



 本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかくこもって、怏憂、煩憂の日を送っていた。
 衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。
 外戦の傷手も大きいが、内政の患いはもっと深い。
「あなたがお丈夫なうちに、どうか世嗣を定めてください。それを先に遊ばしておけば、河北の諸州も一体となって、きっとご方針が進めよくなりましょう」
 劉夫人はしきりにそれを説いた。――が、実は自分の生んだ子の三男袁尚を、河北の世嗣に立てたいのであった。
「わしも疲れた。……心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を決めよう」
 つねに劉夫人からよいことだけを聞かされているので、彼の意中にも、袁尚が第一に考えられていた。
 だが、長男の袁譚は、青州にいるし、次男の袁煕は、幽州を守っている。
 その二人をさしおいて、三男の袁尚を立てたら、どういうことになるだろうか?
 袁紹はそこに迷いを持ったのであった。つねにそばにおいて可愛がっている袁尚だけに、悩むまでもない明白な問題なのに、彼は迷い苦しんだ。
 重臣たちの意向をさぐると、逢紀、審配のふたりは、袁尚を擁立したがっているし、郭図、辛評の二名は、正統派というか、嫡子袁譚を立てようとしているらしい。
 だが、自分から自分の望みをほのめかしたら、そういう連中も、一致して袁尚を支持してくれるかも知れぬ――と考えたらしく袁紹は或る日、四大将を翠眉廟の内に招いて、
「時に、わしもはや老齢だし、諸州に男子を分けて、それぞれ適する地方を守らせてあるが、宗家の世嗣としては、もっとも三男袁尚がその質と思うている。――で、近く袁尚を河北の新君主に立てようと考えておるが、そち達はどう思うな?」
 と、意見を問いながら暗に自分の望みを打ち明けてみた。
 すると、誰よりも先に郭図が口をひらいて、
「これは思いもよらぬおことばです。古から兄をおいて弟を立て、宗家の安泰を得たためしはありますまい。これを行えば乱兆たちまち河北の全土に起って、人民の安からぬ思いをするは火をみるよりもあきらかです。しかもいま一方には、曹操の熄まざる侵略のあるものを。……どうか、家政を紊し給わず、一意、国防にお心を傾け給わるよう、痛涙、ご諫言申しあげまする」
 と、面を冒していった。
 沮授や田豊などという忠良の臣を失って、そのことばが時折、悔いの底に思い出されていたところなので、袁紹もこんどは、
「左様か……。む、む」
 と、気まずい顔いろながらも、反省して、考え直しているふうであった。
 すると、それから数日の間に。
 并州にいる甥の高幹が、官渡の大敗と聞いて、軍勢五万をひきいて上ってきたところへ、長男の袁譚も、青州から五万余騎をととのえて駈けつけ、次男袁煕もまた前後して、六万の大兵をひっさげ、城外に着いて、野営を布いた。
 ために冀州城下の内外は、それらの味方の旗で埋められたので、一時は気を落していた袁紹も大いに歓んで、
「やはり何かの場合には、気づよいものは子どもらや肉親である。かく、新手の兵馬がわれに備わるからには、長途を疲れてくる曹操の如きは何ものでもない」と、安心をとり戻していた。
 一方、曹操の軍勢は、どう動いているかと、諸所の情報をあつめてみると、さすがに急な深入りもせず、大捷をおさめたのち、彼はひとまず黄河の線に全軍をあつめ、おもむろに装備を改めながら兵馬に休養をとらせているらしかった。



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溯巻く黄河_03

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 淳于瓊が斬られたのを見て、袁紹の幕将たちは、みな不安にかられた。
「いつ、自分の身にも」と、めぐる運命におののきを覚えたからである。
 中でも、郭図は、
「これはいかん……」と、早くも、保身の智恵をしぼっていた。
 なぜならば、ゆうべ官渡の本陣を衝けば必ず勝つと、大いにすすめたのは、自分だったからである。
 やがてその張郃、高覧が大敗してここへ帰ってきたら、必定、罪を問われるかも知れない。今のうちに――と彼はあわてて、袁紹にこう讒言した。
「張郃、高覧の軍も、今暁、官渡において、惨敗を喫しましたが、ふたりは元から、味方を売って曹操に降らんという二心が見えていました。さてこそ、昨夜の大敗は、わざとお味方を損じたのかも知れませぬぞ。いかになんでも、ああもろく小勢の敵に敗れるわけはありません」
 袁紹は、真っ蒼になって、
「よしっ、立ち帰ってきたら、必ず彼らの罪を正さねばならん」
 と、いうのを聞くと、郭図はひそかに、人をやって、張郃、高覧がひき揚げてくる途中、
「しばし、本陣に還るのは、見合わせられい。袁将軍はご成敗の剣を抜いて、貴公たちの首を待っている」と、告げさせた。
 二人が、それを聞いているところへ、袁紹からほんとの伝令がきて、
「早々に還り給え」と、主命を伝えた。
 高覧は、突然剣を払って、馬上の伝令を斬り落した。驚いたのは張郃である。
「なんで主君のお使いを斬ったのか。そんな暴を働けば、なおさら君前で云い開きが立たんではないか」と絶望して悲しんだ。
 すると高覧は、つよくかぶりを振って、
「われら、豈、死を待つべけんや。――おい、張郃。時代の流れは河北から遠い。旗をかえして、曹操に降ろう」と、共に引っ返して、官渡の北方に白旗をかかげ、その日ついに、曹操の軍門に降服してしまった。
 諫める者もあったが、曹操は容れるにひろい度量があった。
 降将張郃を、偏将軍都亭侯に、高覧を同じく偏将軍東莱侯に封じ、
「なお、将来の大を期し給え」と、励ましたから、両将の感激したことはいうまでもない。
 彼の二を減じて、味方に二を加えると、差引き四の相違が生じるわけだから、曹操軍が強力となった反対に、袁将軍の弱体化は目に見えてきた。
 それに烏巣焼打ち以後、兵糧難の打開もついて、丞相旗のひるがえるところ、旭日昇天の概があった。
 許攸も、その後、曹操に好遇されていた。彼はまた、曹操に告げて、
「ここで息を抜いてはいけません。今です。今ですぞ」と励ました。
 昼夜、攻撃また攻撃と、手をゆるめず攻めつづけた。しかし何といっても、河北の陣営はおびただしい大軍である。一朝一夕に崩壊するとは見えなかった。
「――敵の勢力を三分させ、箇々殲滅してゆく策をおとりになっては如何ですか。まずそれを誘導するため、味方の勢を実は少しずつ――黎陽(河南省逡県東南)鄴都(河北省)酸棗(河南省)の三方面へ分け、いつわって、袁紹の本陣へ、各所から一挙に働く折をうかがうのです」
 これは荀ケの献策だった。こんどの戦いで、荀ケが口を出したのは初めてであるから、曹操も重視してその説に耳を傾けた。



 鄴都、黎陽、酸棗の三方面へ向って、しきりに曹操の兵がうごいてゆくと聞いて、袁紹は、
「すわ、また何か、彼が奇手を打つな」
 と、大将辛明に、五万騎をつけて、黎陽へ向わせ、三男袁尚にも、五万騎をさずけて、鄴都へ急派し、さらに酸棗へも大兵を分けた。
 当然、彼の本陣は、目立って手薄になった。探り知った曹操は、
「思うつぼに」と、ほくそ笑んで、一時三方へ散らした各部隊と聯絡をとり、日と刻を諜し合わせて、袁紹の本陣へ急迫した。
 黄河は逆巻き、大山は崩れ、ふたたび天地開闢前の晦冥がきたかと思われた。袁紹は甲を着るいとまもなく、単衣帛髪のまま馬に飛び乗って逃げた。
 あとには、ただ一人、嫡子の袁譚がついて行ったのみである。
 それと知って、
「われぞ、手擒に!」
 と張遼、許褚、徐晃、于禁などの輩が争って追いかけたが、黄河の支流で見失ってしまった。
 一すじや二すじの河流なら見当もつくが、広茫の大野に、沼やら湖やら、またそれをつなぐ無数の流れやらあって、どっちへ渡って行ったか――水に惑わされてしまったからであった。
 なお諸所を捜索中、捕虜とした一将校の自白によると、
「嫡子袁譚のほかに、約八百ほどの旗下の将士がついて、北方の沼を逃げ渡られた」
 と、いうことだった。
 そのうちに集結の角笛が聞えたので、一同むなしく引揚げた。この日の戦果は予想外に大きかった。敵の遺棄死体は八万と数えられ、袁紹の本陣付近から彼の捨てて行った食料、重大の図書、金銀絹帛の類などぞくぞく発見されたし、そのほか分捕りの武器馬匹など莫大な額にのぼった。
 また、それらの戦利品中には、袁紹の座側にあった物らしい金革の大きな文櫃などもあった。曹操が開いてみると、幾束にもなった書簡が出てきた。
 思いがけない朝廷の官人の名がある。現に曹操のそばにいて忠勤顔している大将の名も見出された。そのほか、日頃、袁紹に内通していた者の手紙は、すべて彼の眼に見られてしまった。
「実にあきれたもの、この書簡を証拠に、この際、これらの二心ある醜類をことごとく軍律に照して断罪に処すべきでしょう」
 荀攸がそばからいうと、曹操はにやにや笑って、
「いや待て。――袁紹の勢いが隆々としていたひと頃には、この曹操でさえ、如何にせんかと、惑ったものだ。いわんや他人をや」
 彼は、眼のまえで、革櫃ぐるみ書簡もすべて、焼き捨てさせてしまった。
 また、袁紹の臣沮授は、獄につながれていたので、当然、逃げることもどうすることもできず、やがて発見されて、曹操の前にひかれてきた。曹操は見るとすぐ、
「おう、君とは、一面の交わりがある」
 と、自身で縄をといてやったが、沮授は声をあげて、その情けを拒んだ。
「わしが捕われたのは、やむを得ず捕われたのだ。降参ではないぞ。早く首を斬れ」
 しかし曹操は、あくまでその人物を惜しんで陣中におき、篤くもてなしておいた。ところが、沮授は隙を見て、兵の馬を盗みだし、それに乗って逃げだそうとした。
「……あっ」
 沮授が、鞍につかまった刹那、一本の矢が飛んできて、沮授の背から胸まで射ぬいてしまった。曹操は自分のしたことを、
「ああ。われついに、忠義の人を殺せり」
 と悲しんで、手ずから遺骸を祭り、黄河のほとりに墳を築いて、それに「忠烈沮君之墓」と碑にきざませた。



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溯巻く黄河_02

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 袁紹の臣沮授は、主君袁紹に諫言して、かえって彼の怒りをかい、軍の監獄に投じられていたが、その夜、獄中に独坐して星を見ているうちに、
「……ああ。これはただごとではない」と、大きくつぶやいた。
 彼の独り言を怪しんで、典獄がそのわけを問うと、沮授はいった。
「こよいは星の光いとほがらかなのに、いま天文を仰ぎ見るに、太白星をつらぬいて、一道の妖霧がかかっている。これ兵変のある凶兆である」
 そして彼は、典獄を通して、主君の袁紹に会うことをしきりに――しかも、火急に嘆願したので、折から酒をのんでいた袁紹は、何事かと、面前にひかせて見た。
 沮授は、信念をもって、
「こよいから明け方までの間に、かならず敵の奇襲が実行されましょう。察するに、味方の兵糧は烏巣にありますから、智略のある敵ならきっとそこを脅かそうとするに違いありません。すぐさま猛将勇卒を急派して、山間の通路にそなえ、彼の計を反覆して、凶を吉とする応変のお手配こそ必要かと存ぜられます」と進言した。
 袁紹は聞くと、苦りきって、
「獄中にある身をもって、まだみだりに舌をうごかし、士気を惑わそうとするか。賢才を衒う憎むべき囚人め。退がれっ」と、ただ一喝して、退けてしまった。
 それのみか、彼の嘆願を取次いだ典獄は、獄中の者と親しみを交わしたという罪で、その晩、首を斬られてしまったと聞いて、沮授は独り哭いて、獄裡に嘆いていた。
「もう眼にも見えてきた。味方の滅亡は刻々にある。――ああ、この一身も、どこの野末の土となるやら……」
 ――かかる間に、一方、曹操の率いる模擬河北軍は、いたるところの敵の警備陣を、
「これは九将蒋奇以下の手勢、主君袁紹の命をうけて、にわかに烏巣の守備に増派されて参るものでござる」と呶鳴って、難なく通りぬけてしまった。
 烏巣の穀倉守備隊長淳于瓊は、その晩も、土地の村娘など拉してきて、部下と共に酒をのんで深更まで戯れていた。ところが、陣屋の諸所にあたってバリバリと異様な音がするので、あわてて、飛びだしてみると、四面一体は、はや火の海と化し、硝煙の光、投げ柴の火光などが火の襷となって入り乱れているあいだを、金鼓、矢うなり、突喊のさけび、たちまち、耳も聾せんばかりだった。
「あっ、夜討だっ」
 狼狽を極めて、急に防戦してみたが、何もかも、間に合わない。
 半数は、降兵となり、一部は逃亡し、踏みとどまった者はすべて火焔の下に死骸となった。
 曹操の部下は、熊手をもって淳于瓊をからめ捕った。
 副将の眭元は行方知れず、趙叡は逃げそこねて討ち殺された。
 曹操は存分に勝って淳于瓊の鼻をそぎ耳を切って、これを馬の上にくくりつけ、凱歌をあげながら引返した。――夜もまだ明けきらぬうちであった。
 ときに袁紹は、本陣のうちで、無事をむさぼって眠っていたが、
「火の手が見えます!」と不寝の番に起され、はじめて烏巣の方面の赤い空を見た。
 そこへ、急報が入った。
 袁紹は驚愕して、とっさにとるべき処置も知らなかった。
 部将張郃は、
「すぐに烏巣の急を救わん」
 とあせり立ち、高覧はそれに反対して、
「むしろ、曹操の本陣、官渡の留守を衝いて、彼の帰るところをなからしめん」と主張した。
 火の手を見ながらこんなふうに袁紹の帷幕では議論していたのであった。



 焦眉の急をそこに見ながら、袁紹には果断がなかった。帷幕の争いに対しても明快な直裁を下すことができなかった。
 彼とても、決して愚鈍な人物ではない。ただ旧態の名門に生れて、伝統的な自負心がつよく、刻々と変ってくる時勢と自己の周囲に応じてよく処することを知らなかった日頃の科が、ここへ来てついに避けがたい結果をあらわし、彼をして、ただ狼狽を感じさせているものと思われる。
「やめい。口論している場合ではない」
 たまらなくなって、袁紹はついに呶鳴った。
 そして、確たる自信もなく、
「張郃、高覧のふたりは、共に五千騎をひっさげて、官渡の敵陣を衝け。また、烏巣の方面へは、兵一万を率いて、蒋奇が参ればよい。はやく行け、はやく」
 と、ただあわただしく号令した。
 蒋奇は心得てすぐ疾風陣を作った。一万の騎士走卒はすべて馳足でいそいだ。烏巣の空はなお炎々と赤いが、山間の道はまっ暗だった。
 すると彼方から百騎、五十騎とちりぢりに馳けてきた将士が、みな蒋奇の隊に交じりこんでしまった。もっとも出合いがしらに先頭の者が、
「何者だっ?」と充分に糺したことはいうまでもないが、みな口を揃えて、
「淳于瓊の部下ですが、大将淳于瓊は捕われ、味方の陣所は、あのように火の海と化したので逃げ退いてきたのです」というし、姿を見れば、すべて河北軍の服装なので、怪しみもせず、応援軍のなかに加えてしまったものであった。
 ところが、これはみな烏巣から引っ返してきた曹操の将士であったのである。中には、張遼だの許褚のごとき物騒な猛将も交じっていた。馳足の行軍中、蒋奇の前後にはいつのまにかそういう面々が近づいていたのであった。
「やっ、裏切者か」
「敵だっ」
 突然混乱が起った。暗さは暗し、敵か味方かわからない間に、すでに蒋奇は何者かに鎗で突き殺されていた。
 たちまち四山の木々岩石はことごとく人と化し、金鼓は鳴り刀鎗はさけぶ。曹操の指揮下、蒋奇の兵一万の大半は殲滅された。
「追い土産まで送ってくるとは、袁紹も物好きな」
 と、大捷を博した曹操は、会心の声をあげて笑っていた。
 その間に、彼はまた、袁紹の陣地へ、人をさし向けてこういわせた。
「蒋奇以下の軍勢はただ今、烏巣についてすでに敵を蹴ちらし候えば、袁将軍にもお心を安じられますように」
 袁紹はすっかり安心した。――が、その安夢は朝とともに、霧の如く醒めてふたたび惨憺たる現実を迎えたことはいうまでもない。
 張郃、高覧も、官渡へ攻めかかって、手痛い敗北を喫していたのである。彼に備えがなかったら知らないこと、あらかじめかかることもあろうかと、手具脛ひいていた曹仁や夏侯惇の正面へ寄せて行ったので敗れたのは当然だった。
 そのあげく、官渡から潰乱してくる途中、運悪くまた曹操の帰るのにぶつかってしまった。ここでは、徹底的に叩かれて、五千の手勢のうち生き還ったものは千にも足らなかったという。
 袁紹は茫然自失していた。
 そこへ淳于瓊が、耳鼻を削がれて敵から送られてきたので、その怠慢をなじり、怒りにまかせて即座に首を刎ねてしまった。



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溯巻く黄河_01

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 槍の先に、何やら白い布をくくりつけ、それを振りながらまっしぐらに駈けてくる敵将を見、曹操の兵は、
「待てっ、何者だ」と、たちまち捕えて、姓名や目的を詰問した。
「わしは、曹丞相の旧友だ。南陽の許攸といえば、きっと覚えておられる。一大事を告げにきたのだからすぐ取次いでくれい」
 その時、曹操は本陣の内で、衣を解きかけてくつろごうとしていたが、取次の部将からそのことを聞いて、
「なに、許攸が?」と、意外な顔して、すぐ通してみろといった。
 ふたりは轅門のそばで会った。少年時代の面影はどっちにもある。おお君か――となつかしげに、曹操が肩をたたくと、許攸は地に伏して拝礼した。
「儀礼はやめ給え。君と予とは、幼年からの友、官爵の高下をもって相見るなど、水くさいじゃないか」
 曹操は、手をとって起した。許攸はいよいよ慙愧して、
「僕は半生を過まった。主を見るの明なく、袁紹ごときに身をかがめ、忠言もかえって彼の耳に逆らい、今日、追われて故友の陣へ降を乞うなど……なんとも面目ないが、丞相、どうか僕を憐れんで、この馬骨を用いて下さらんか」
「君の性質はもとよりよく知っている。無事に相見ただけでもうれしい心地がするのに、さらに、予に力を貸さんとあれば、なんで否む理由があろう。歓んで君の言を聞こう。……まず、袁紹を破る計があるなら予のために告げたまえ」
「実は、自分が袁紹にすすめたのは、今、軽騎の精兵五千をひっさげて、間道の嶮をしのび越え、ふいに許都を襲い、前後から官渡の陣を攻めようということでござった。――ところが、袁紹は用いてくれないのみか、下将の分際で僭越なりと、それがしを辛く退けてしまった」
 曹操はおどろいて、
「もし袁紹が、君の策を容れたら、予の陣地は七花八裂となるところだった。ああ危うい哉。――して、君は今、この陣へ来て、逆に彼を破るとしたら、どう計を立てるか」
「その計を立てるまえに、まず伺いたいことがある。いったい丞相のご陣地には今、どれくらいな兵糧のご用意がおありか?」
「半年の支えはあろう」
 曹操が、即答すると、許攸は面を苦りきらせて、じっと曹操の眼をなじッた。
「嘘をお云いなさい。せっかく自分が、旧情を新たにして、真実を吐こうと思えば、あなたは却っていつわりをいう。――われを欺こうとする人に真実はいえないじゃありませんか」
「いや、いまのは戯れだ。正直なところをいえば、三月ほどの用意しかあるまい」
 許攸はまた笑って、
「むべなる哉。世間の人が、曹操は奸雄で、悪賢い鬼才であるなどと、よく噂にもいうが、なるほど、当らずといえども遠からずだ。あなたはあくまで人を信じられないお方と見える」
 と、舌打ちして、嗟嘆すると、ややあわて気味に、曹操は彼の耳へいきなり口を寄せて、小声にささやいた。
「軍の機秘。実は味方に秘しているが、君だからもうほんとのことをいってしまう。実は、すでに涸渇して、今月を支えるだけの兵糧しかないのだ」
 すると許攸は、憤然、彼の口もとから耳を離して、ずばりと刺すようにいった。
「子どもだましのような嘘はもうおよしなさい。丞相の陣にはもはや一粒の兵糧もないはずです。馬を喰い草を噛むのは、兵糧とはいえませんぞ」
「えっ……どうして君は、そこまで知っているのか」
 と、さすがの曹操も顔色を失った。



 許攸は、ふところへ手を入れた。
 そして、封のやぶれている書簡を出して、曹操の眼の前へつきだした。
「これは一体、誰の書いたものでしょう」
 許攸は鼻の上に皮肉な小皺をよせて云った。それは先に曹操から都の荀ケへ宛てて、兵糧の窮迫を告げ、早速な処置をうながした直筆のものであった。
「や。どうして予の書簡が、君の手にはいっているのか」
 曹操は仰天してもう嘘は効かないとさとった容子だった。
 許攸は、自分の手で、使いを生け捕ったことなど、つぶさに話して、
「丞相の軍は小勢で、敵の大軍に対し、しかも兵糧は尽きて、今日にも迫っている場合でしょう。なぜ敵の好む持久戦にひきずられ、自滅を待っておいでになるか、それがしに分りません」
 と、いった。
 曹操はすっかり兜をぬいで、速戦即決に出たいにも名策はないし持久を計るには兵糧がない。如何にせば、ここを打開できるだろうかと、辞を低うして訊ねた。
 許攸は初めて、真実をあらわして云った。
「ここを離るること四十里、烏巣の要害がありましょう。烏巣はすなわち袁紹の軍を養う糧米がたくわえある糧倉の所在地です。ここを守る淳于瓊という男は、酒好きで、部下に統一なく、ふいに衝けば必ず崩れる脆弱な備えであります」
「――が、その烏巣へ近づくまでどうして敵地を突破できよう」
「尋常なことでは通れません。まず屈強なお味方をすべて北国勢に仕立て、柵門を通るたびに袁将軍の直属蒋奇の手の者であるが、兵糧の守備に増派され、烏巣へ行くのだと答えれば――夜陰といえども疑わずに通すにちがいありません」
 曹操は彼の言を聞いて、暗夜に光を見たような歓びを現した。
「そうだ、烏巣を焼討ちすれば袁紹の軍は、七日と持つまい」
 彼は直ちに、準備にかかった。
 まず河北軍の偽旗をたくさんに作らせた。将士の軍装も馬飾りも幟もことごとく河北風俗にならって彩られ、約五千人の模造軍が編制された。
 張遼は、心配した。
「丞相、もし許攸が、袁紹のまわし者だったら、この五千は、ひとりも生き還れないでしょうが」
「この五千は、予自身が率いてゆく。なんでわざわざ敵の術中へ墜ちにゆくものか」
「えっ、丞相ご自身で」
「案じるな。――許攸が味方へとびこんできたのは、実に、天が曹操に大事を成さしめ給うものだ。もし狐疑逡巡して、この妙機をとり逃したりなどしたら、天は曹操の暗愚を見捨てるであろう」
 果断即決は、実に曹操の持っている天性の特質中でも、大きな長所の一つだった。彼には兵家の将として絶対に必要な「勘」のするどさがあった。他人には容易に帰結の計りがつかない冒険も、彼の鋭敏な「勘」は一瞬にその目的が成るか成らないか、最終の結果をさとるに早いものであった。
 ――が、彼にとって、恐いのは行く先の敵地ではなく、留守中の本陣だった。
 もちろん許攸はあとに残した。態よく陣中にもてなさせておいて、曹洪を留守中の大将にさだめ、賈詡、荀攸を助けに添え、夏侯淵、夏侯惇、曹仁、李典などもあとの守りに残して行った。
 そして、彼自身は。
 五千の偽装兵をしたがえ、張遼、許褚を先手とし、人は枚をふくみ馬は口を勒し、その日のたそがれ頃から粛々と官渡をはなれて、敵地深く入って行った。
 時、建安五年十月の中旬だった。



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