2013年12月07日

于吉仙人_03

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「よかろう」
 孫策は快然と笑って即座に吏に命じた。
「さっそく、市中に雨乞いの祭壇をつくれ、彼奴が化けの皮を脱ぐのを見てやろう」
 市街の広場に壇が築かれた。四方に柱を立て彩華をめぐらし、牛馬を屠って雨龍や天神を祭り、于吉は沐浴して壇に坐った。
 麻衣を着がえるとき、于吉はそっと、自分を信じている吏にささやいた。
「わしの天命も尽きたらしい。こんどはもういけない」
「なぜですか、霊験をお示しあればいいでしょう」
「平地に三尺の水を呼んで百姓を救うことはできても、自分の命数だけはどうにもならんよ」
 壇の下へ、孫策の使いがきて、高らかに云いわたした。
「もし、今日から三日目の午の刻までに、雨が降らないときは、この祭壇とともに、生きながら焼き殺せとの厳命であるぞ。よいか、きっと心得ておけよ」
 于吉はもう瞑目していた。
 白髪のうえからかんかん日があたる。夜半は冷気肌を刺す。祭壇の大香炉は、縷々として香煙を絶たず、三日目の朝となった。
 一滴の雨もふらない。
 きょうも満天は焦げて、烈々たる太陽だけがあった。ただ地上には聞き伝えて集まった数万の群集が、それこそ雲のごとくひしめいていた。
 すでに午の刻となった。陽時計を睨んでいた吏は、鐘台へかけあがって、時刻の鐘を打った。数万の百姓は、それを聞くと、大声をあげて哭いた。
「見ろ! およそ道士だの神仙だのというやつは、たいがいかくの如きものだ。ただちにあの無能な老爺を焚殺せ」と、孫策が城楼から下知した。
 刑吏は、祭壇の四方に、薪や柴を山と積んだ。たちまち烈風が起って、于吉のすがたを焔の中につつんだ。
 火は風をよび、風はまた砂塵を呼んで、一すじの黒気が濃い墨のように空中へ飛揚して行った。――と見るまに、天の一角にあたって、霹靂が鳴り、電光がはためき、ぽつ、ぽつ、と痛いような大粒の雨かと思ううち、それも一瞬で、やがて盆をくつがえすような大雷雨とはなってきた。
 未の刻まで降り通した。市街は河となって濁流に馬も人も石も浮くばかりだった。それ以上降ったら万戸洪水にひたされそうに見えたが、やがて祭壇の上から誰やらの大喝が一声空をつんざいたかと思うと、雨ははたとやみ、ふたたび耿々たる日輪が大空にすがたを見せた。
 刑吏が驚いて、半焼の祭壇のうえを見ると、于吉は仰向けに寝ていた。
「ああ、真に神仙だ」
 と、諸大将は駈け寄って、彼を抱きおろし、われがちに礼拝讃嘆してやまなかった。
 孫策は轎に乗って、城門から出てきた。さだめし赦免されるであろうとみな思っていたところ彼の不機嫌は前にも増して険悪であった。武将も役人もことごとく衣服の濡れるもいとわず于吉のまわりに拝跪したざまが、彼の眼には見るに耐えなかった。
「大雨を降らすも、炎日のつづくも、すべて自然の現象で、人間業で左右されるものではない。汝ら諸民の上に立つ武将たり市尹たりしながら、なんたる醜状か。妖人に組して、国をみだすも、謀叛してわれに弓をひくも、同罪であるぞ。斬れッ、その老爺を!」
 諸臣、黙然と首をたれているばかりで、誰も、于吉を怖れて進み出る者もなかった。
 孫策はいよいよ憤って、
「なにを臆すかッ、よしっ、このうえは自ら成敗してくれん。見よわが宝剣の威を」
 と、戛然、抜き払った一閃の下に、于吉の首を刎ねてしまった。
 日輪は赫々と空にありながら、また沛然と雨が降りだした。怪しんで人々が天を仰ぐと、一朶の黒雲のなかに、于吉の影が寝ているように見えた。
 孫策はその夕方頃から、どうもすこし容子が変であった。眼は赤く血ばしり、発熱気味に見うけられた。



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于吉仙人_02

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 ほかならぬ袁紹の使いと聞いて、孫策は病中の身を押して対面した。
 使者の陳震は、袁紹の書を呈してからさらに口上をもって、
「いま曹操の実力と拮抗し得る国はわが河北か貴国の呉しかありません。その両家がまた相結んで南北から呼応し、彼の腹背を攻めれば、曹操がいかに中原に覇を負うとも、破るるは必定でありましょう」と、軍事同盟の緊要を力説し、天下を二分して、長く両家の繁栄と泰平を計るべき絶好な時機は今であるといった。
 孫策は大いに歓んだ。彼も打倒曹操の念に燃えていたところである。
 これこそ天の引き合わせであろうと、城楼に大宴をひらいて陳震を上座に迎え、呉の諸大将も参列して、旺なもてなし振りを示していた。
 すると、宴も半ばのうちに、諸将は急に席を立って、ざわざわとみな楼台からおりて行った。孫策はあやしんで、何故にみな楼をおりてゆくかと左右に訊ねると、近侍の一名が、
「于吉仙人が来給うたので、そのお姿を拝さんと、いずれも争って街頭へ出て行かれたのでしょう」
 と、答えた。
 孫策は眉毛をピリとうごかした。歩を移して楼台の欄干により城内の街を見下ろしていた。
 街上は人で埋まっていた。見ればそこの辻を曲っていま真っすぐに来る一道人がある。髪も髯も真っ白なのに、面は桃花のごとく、飛雲鶴翔の衣をまとい、手には藜の杖をもって、飄々と歩むところ自から微風が流れる。
「于吉さまじゃ」
「道士様のお通りじゃ」
 道をひらいて、人々は伏し拝んだ。香を焚いて、土下座する群衆の中には、百姓町人の男女老幼ばかりでなく、今あわてて宴を立って行った大将のすがたも交じっていた。
「なんだ、あのうす汚い老爺は!」
 孫策は不快ないろを満面にみなぎらして、人をまどわす妖邪の道士、すぐ搦め捕ってこいと、甚だしい怒りようで、武士たちに下知した。
 ところが、その武士たちまで、口を揃えて彼を諫めた。
「かの道士は、東国に住んでいますが、時々、この地方に参っては、城外の道院にこもり、夜は暁にいたるまで端坐してうごかず、昼は香を焚いて、道を講じ、符水を施して、諸人の万病を救い、その霊顕によって癒らない者はありません。そのため、道士にたいする信仰はたいへんなもので、生ける神仙とみな崇めていますから、めったに召捕ったりしたら、諸民は号泣して国主をお怨みしないとも限りませぬ」
「ばかを申せっ。貴様たちまで、あんな乞食老爺にたばかられているのかっ。否やを申すと、汝らから先に獄へ下すぞ」
 孫策の大喝にあって、彼らはやむなく、道士を縛って、楼台へ引っ立ててきた。
「狂夫っ、なぜ、わが良民を、邪道にまどわすかっ」
 孫策が、叱っていうと、于吉は水のごとく冷やかに、
「わしの得たる神書と、わしの修めたる行徳をもって、世人に幸福をわかち施すのが、なぜ悪いか、いけないのか、国主はよろしく、わしにたいして礼をこそいうべきであろう」
「だまれっ。この孫策をも愚夫あつかいにするか。誰ぞ、この老爺の首を刎ねて、諸民の妖夢を醒ましてやれ」
 だが、誰あって、進んで彼の首に剣を加えようとする者はなかった。
 張昭は、孫策をいさめて、何十年来、なに一つ過ちをしていないこの道士を斬れば、かならず民望を失うであろうといったが、
「なんの、こんな老いぼれ一匹、犬を斬るも同じことだ。いずれ孫策が成敗する。きょうは首枷をかけて獄に下しておけ」と、ゆるす気色もなかった。



 孫策の母は、愁い顔をもって、嫁の呉夫人を訪れていた。
「そなたも聞いたでしょう。策が于道士を捕えて獄に下したということを」
「ええ、ゆうべ知りました」
「良人に非行あれば、諫めるのも妻のつとめ。そなたも共に意見してたもれ。この母もいおうが、妻のそなたからも口添えして下され」
 呉夫人も悲しみに沈んでいたところである。母堂を始め、夫人に仕える女官、侍女など、ほとんど皆、于吉仙人の信者だった。
 呉夫人はさっそく良人の孫策を迎えに行った。孫策はすぐ来たが、母の顔を見ると、すぐ用向きを察して先手を打って云った。
「きょうは妖人を獄からひき出して、断乎、斬罪に処するつもりです。まさか母上までが、あの妖道士に惑わされておいでになりはしますまいね」
「策、そなたは、ほんとに道士を斬るつもりですか」
「妖人の横行は国のみだれです。妖言妖祭、民を腐らす毒です」
「道士は国の福神です、病を癒すこと神のごとく、人の禍いを予言して誤ったことはありません」
「母上もまた彼の詐術にかかりましたか、いよいよ以って許せません」
 彼の妻も、母とともに、口を極めて、于吉仙人の命乞いをしたが、果ては、
「女童の知るところでない」と、孫策は袖を払って、後閣から立ち去ってしまった。
 一匹の毒蛾は、数千の卵を生みちらす。数千の卵は、また数十万の蛾と化して、民家の灯、王城の燭、後閣の鏡裡、ところ、きらわず妖舞して、限りもなく害をなそう。孫策はそう信じて、母のことばも妻のいさめも耳に入れなかった。
「典獄。于吉をひき出せ」
 主君の命令に、典獄頭は、顔色を変えたが、やがて獄中からひき出した道士を見ると、首枷がかけてない。
「だれが首枷をはずしたか」
 孫策の詰問に典獄はふるえあがった。彼もまた信者だったのである。いや、典獄ばかりでなく、牢役人の大半も実は道士に帰依しているので、いたくその祟りを恐れ、縄尻を持つのも厭う風であった。
「国の刑罰をとり行う役人たるものが、邪宗を奉じて司法の任にためらうなど言語道断だ」
 孫策は怒って剣を払い、たちどころに典獄の首を刎ねてしまった。また于吉仙人を信ずるもの数十名の刑吏を武士に命じてことごとく斬刑に処した。
 ところへ張昭以下、数十人の重臣大将が、連名の嘆願書をたずさえて、一同、于吉仙人の命乞いにきた。孫策は、典獄の首を刎ねて、まだ鞘にも納めない剣をさげたまま嘲笑って、
「貴様たちは、史書を読んで、史を生かすことを知らんな。むかし南陽の張津は、交州の太守となりながら、漢朝の法度を用いず、聖訓をみな捨ててしまった。そして、常に赤き頭巾を着、琴を弾じ、香を焚き、邪道の書を読んで、軍に出れば不思議の妙術をあらわすなどと、一時は人に稀代な道士などといわれたものだが、たちまち南方の夷族に敗られて幻妙の術もなく殺されてしまったではないか。要するに、于吉もこの類だ、まだ害毒の国全体に及ばぬうちに殺さねばならん。――汝ら、無益な紙筆をついやすな」
 頑として、孫策はきかない。すると、呂範がこうすすめた。
「こうなされては如何です。彼が真の神仙か、妖邪の徒か、試みに雨を祈らせてごらんなさい。幸いにいま百姓たちは、長い旱に困りぬいて、田も畑も亀裂している折ですから、于吉に雨乞いのいのりを修させ、もし験しあれば助け、効のないときは、群民の中で首を刎ね、よろしく見せしめをお示しになる。その上のご処分なら、万民もみな得心するでしょう」



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于吉仙人_01

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 呉の国家は、ここ数年のあいだに実に目ざましい躍進をとげていた。
 浙江一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口を扼し、気温は高く天産は豊饒で、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和によって、宛然たる呉国色をここに劃し、人の気風は軽敏で利に明るく、また進取的であった。
 彗星的な風雲児、江東の小覇王孫策は、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、廬江を攻略し、また黄祖、劉勲などを平げて恭順を誓わせ、予章の太守もまた彼の下風について降を乞うてくるなど――隆々たる勢いであった。
 彼の臣、張紘は、いくたびか都へ上り、舟航して、呉と往来していた。
 孫策の「漢帝に奉るの表」を捧げて行ったり、また朝延への貢ぎ物を持って行ったのである。
 孫策の眼にも漢朝はあったけれど、その朝門にある曹操は眼中になかった。
 孫策はひそかに大司馬の官位をのぞんでいたのである。けれど、容易にそれを許さないものは、朝廷でなくて、曹操だった。
 甚だおもしろくない。
 だが、並び立たざる両雄も、あいての実力は知っていた。
「彼と争うは利でない」
 曹操は、獅子の児と噛みあう気はなかった。
 しかし獅子の児に、乳を与え、冠を授けるようなことも、極力回避していた。
 ただ手なずけるを上策と考えていた。――で、一族曹仁の娘を、孫策の弟にあたる孫匡へ嫁入らせ、姻戚政策をとってみたが、この程度のものは、ほんの一時的な偽装平和を彩ったまでにすぎない。日がたつと、いつとはなく、両国のあいだには険悪な気流がみなぎってくる。乳を与えなくても、獅子の児は牙を備えてきた。
 呉郡の太守に、許貢という者がある。その家臣が、渡江の途中、孫策の江上監視隊に怪しまれて捕われ、呉の本城へ送られてきた。
 取調べてみると、果たして、密書をたずさえていた。
 しかも、驚くべき大事を、都へ密告しようとしたものだった。
(呉の孫策、度々、奏聞をわずらわし奉り、大司馬の官位をのぞむといえども、ご許容なきをうらみ、ついに大逆を兆し、兵船強馬をしきりに準備し、不日都へ攻めのぼらんの意あり、疾くよろしくそれに備え給え)
 こういう内容である。
 孫策は怒って、直ちに、許貢の居館へ詰問の兵をさし向けた。そして許貢をはじめ妻子眷族をことごとく誅殺してしまった。
 阿鼻叫喚のなかから、あやうくも逃げのがれた三人の食客があった。当時、どこの武人でも、有為な浪人はこれをやしきにおいて養っておく風があった。その食客三人は、日頃ふかく、許貢の恩を感じていたので、
「何とかして、恩人の讐をとらねばならぬ」
 と、ともに血をすすりあい、山野にかくれて、機をうかがっていた。
 孫策はよく狩猟にゆく。
 淮南の袁術に身を寄せていた少年時代から、狩猟は彼の好きなものの一つだった。
 その日も――
 彼は、大勢の臣をつれて、丹徒という部落の西から深山にはいって、鹿、猪などを、おっていた。
 するとここに、
「今だぞ、復讐は」
「加護あれ。神仏」
 と、かねて彼を狙っていた例の食客浪人は、箭に毒をぬり、槍の穂を石でみがいて、孫策の通りそうな藪かげにかくれ、一心天を念じていたのであった。



 孫策の馬は、稀世の名馬で「五花馬」という名があった。多くの家臣をすてて、彼方此方、平地を飛ぶように馳駆していた。
 彼の弓は、一頭の鹿を見事に射とめた。
「射たぞ、誰か、獲物を拾え」
 振向いた時である。孫策の顔へ、ひゅっと、一本の箭が立った。
「あっ」
 顔を抑えると、藪のかげから躍りだした浪人三名が、
「恩人許貢の仇、思い知ったか」と、槍をつけてきた。
 孫策は、弓をあげて、一名の浪人者を打った。しかし、また一方から突いてきた槍に太股をふかく突かれた。五花馬の背からころげ落ちながらも、孫策はあいての槍を奪っていた。その槍で自分を突いた相手を即座に殺したが、同時に、
「うぬっ」と、うしろから、二名の浪人もまた所きらわず、彼の五体を突いていた。
 うう――むッと、大きなうめきを発して、孫策が仆れたとき、残る二名の浪人もまた、急を見て馳けつけてきた呉将程普のために、ずたずたに斬り殺されていた。その附近は、おびただしい血しおで足の踏み場もないほどだった。
 何にしても、国中の大変とはなった。応急の手当を施して、すぐ孫策の身は、呉会の本城へ運び、ふかく外部へ秘した。
「華陀を呼べ。華陀がくればこんな瘡はなおる」
 うわ言のように、当人はいいつづけていた。さすがに気丈であった。それにまだ肉体が若い。
 いわれるまでもなく、名医華陀のところへは、早馬がとんでいた。すぐ呉会の城へのぼった。けれど華陀は眉をひそめた。
「いかんせん、鏃にも槍にも、毒が塗ってあったようです。毒が骨髄にしみとおっていなければよろしいが……?」
 三日ばかりは、昏々とただうめいている孫策であった。
 けれども二十日も経つと、さすがに名医華陀の手をつくした医療の効はあらわれてきた。孫策は時折、うすら笑みすら枕頭の人々に見せた。
「都に在任していた蒋林が帰りましたが、お会いなされますか」
 すっかり容体が快いので、侍臣がいうと、孫策はぜひ会って、都の情勢を聞きたいという。
 蒋林は病牀の下に拝跪して、何くれとなく報告した。
 すると孫策が、
「曹操は近ごろおれのことをどういっているか」と、訊ねた。蒋林は、
「獅子の児と喧嘩はできぬといっているそうです」と、噂のまま話した。
「そうか。あははは」
 めずらしく、孫策は声をだして笑った。非常なご機嫌だと思ったので、蒋林は訊かれもしないのに、なおしゃべっていた。
「――しかし、百万の強兵があろうと、彼はまだ若い。若年の成功は得て思い上がりやすく、図に乗ってかならず蹉跌する。いまに何か内争を招き、名もない匹夫の手にかかって非業な終りを遂げるやも知れん。……などと曹操は、そんなこともいっていたと、朝廷の者から聞きましたが」
 見る見るうちに孫策の血色は濁ってきた。身を起して北方をはったと睨み、やおら病牀をおりかけた。人々が驚いて止めると、
「曹操何ものぞ。瘡の癒えるのを待ってはいられない。すぐわしの戦袍や盔をこれへ持て、陣触れをせいっ」
 すると張昭が来て、
「何たることです。それしきの噂に激情をうごかして、千金の御身を軽んじ給うなどということがありますか」と、叱るが如くなだめた。
 ところへ、遠く河北の地から、袁紹の書を持って、陳震が使いに来た。



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兄弟再会_03

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 関羽にあい、また、ゆくりなくも趙子龍に出会って、玄徳の左右には、兵馬の数こそとぼしいが、はやくも将星の光彩が未来をかがやかしていた。
 やがて、古城は近づいた。
 待ちかねていた望楼の眸は、はやそれと遠くから発見して、
「羽将軍が劉皇叔をお迎えして参られましたぞ」と、大声で下へ告げた。
 喨々たる奏楽がわきあがった。奥の閣からは二夫人が楚々たる蓮歩を運んで出迎える。服装こそ雑多なれ、ここの山兵もきょうはみな綺羅びやかだった。大将張飛も最大な敬意と静粛をもって、出迎えの兵を閲し、黄旗青旗金繍旗日月旗など、万朶の花の一時にひらくが如く翩翻と山風になびかせた。
 玄徳以下、列のあいだを、粛々と城内へとおった。
「あの君が、これからの総帥となるのか。あの人が、関羽というのか」
 通過のあいだに、ちらと見ただけで、兵卒たちの心理は、その一瞬から変った。もう古城の山兵でも烏合の衆でもなかった。
 楽器の音は、山岳を驚かせた。空をゆく鴻は地に降り、谷々の岩燕は、瑞雲のように、天に舞った。
 まず何よりも、二夫人との対面の儀が行われた。関羽は、堂下に泣いていた。
 夜は、牛馬を宰して、聚議の大歓宴が設けられた。
「人生の快、ここに尽くる」
 関羽、張飛がいうと、
「何でこれに尽きよう。これからである」と、玄徳はいった。
 趙雲、孫乾、簡雍、周倉、関平などみな杯を交歓して、
「これからだっ! これからだっ!」と、どよめき合った。
 使者をうけて、汝南の劉辟と龔都もやがて馳けつけ、賀をのべてさていった。
「この狭隘な地では、守るによくとも、大志は展べられません。かねてのお約束、汝南を献じます。汝南を基地として、次の大策におかかりください」
 古城には、一手の勢をのこして、玄徳は即日、汝南へ移った。徐州没落このかた、実に何年ぶりだろうか。こうして君臣一城に住み得る日を迎えとったのは。
 顧みれば――
 それはすべて忍苦の賜だった。また、分散してもふたたび結ばんとする結束の力だった。その結束と忍苦の二つをよく成さしめたものは、玄徳を中心とする信義、それであった。
 さて、日の経つほどに。
 ようやく、焦躁と不安に駆られていたのは袁紹である。
「荊州からなんの消息もくるわけはありません。玄徳は関羽、張飛、趙雲などを集めて、汝南にたて籠っておる由です」
 そう聞いたときの彼の憤激はいうまでもない。
 河北の大軍を一度にさし向けようとすら怒ったほどである。
 郭図が、うまいことをいった。
「愚です。玄徳の変は、いわばお体にできた疥癬の皮膚病です。捨ておいても、今が今というほど、生命とりにはなりません。何といっても、心腹の大患は、曹操の勢威です。これを延引しておいては、ご当家の強大もついには命脈にかかわりましょう」
「そうか。……ううム、しかしその曹操もまた急には除けまい。すでに戦いつつあるが、戦いは膠着の状態にある」
「荊州の劉表を味方にしても、大局は決しますまい。何となれば、彼には大国大兵はあっても、雄図がありません。ただ国境の守りに怯々たる事なかれ主義の男です。――あんな者に労を費やすよりは、むしろ南方の呉国孫策の勢力こそ用うべきでありましょう。呉は、大江の水利を擁し、地は六郡に、威は三江にふるい、文化たかく産業は充実し、精兵数十万はいつでも動かせるものとみられます。いま国交を求むるとせば、新興の国、呉を措いてはありません」と、熱心に説いた。
 袁紹の重臣陳震が、書を載せて、呉へ下ったのはそれから半月ほど後のことだった。



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兄弟再会_02

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 袁紹は考えこんだ。大いに意のうごいた容子である。玄徳はかさねて云った。
「それに近頃また、関羽も許都を脱出して、諸所をさまようておるやに伝えられております、私をして、荊州へおつかわし下さるならかならず関羽にも会い、お味方に伴れもどりましょう」
「なに関羽を」
 袁紹は急に面をあらためて、
「彼は、顔良、文醜を討った讐ではないか。わしにその関羽を献じて、首を刎ねよと申すのか」
「いえいえ、そんなわけではありません。顔良、文醜のごときは、たとえば二匹の鹿です。二つの鹿を失っても、一匹の虎をお手に入れれば、償うて余りあるではございませんか」
「あははは、いや今のは、いささか戯れをいうてみたまでのこと。わしも実は深く関羽を愛しておる。真実、其許が荊州に赴いて劉表を説き、併せて関羽を連れてくるなら、何でわしが不同意をいおう。すぐ出発してくれい」
「承知しました。……が、大策は前に洩れると行えません。私が荊州に行き着くまでは、お味方に極めてご内分になしおかれますように」
 玄徳はそういって、一夜に身支度をととのえ、翌日ひそかに袁紹の書簡をうけ、風の如く関外へ走り去った。
 そのあとで、すぐ簡雍は袁紹の前へ出た。そして袁紹を不安に陥れた。
「彼を荊州へお遣わしになったそうですが、実に飛んでもないことをなされました。玄徳はあのような温和な人物ですから、反対に劉表に説き伏せられて、荊州へついてしまう惧れがありはしませんか。劉表も遠大な野心を抱いていますし、彼と彼とは、ともに宗族で親類も同様ですからな」
「木乃伊取りが木乃伊になっては何もならん。いや後日の大害だ。どうしたらいいだろう」
「てまえが追いかけて呼び返して参りましょう」
「それもあまりにわしの面目にかかわるが」
「では、てまえが随員として、玄徳について行きましょう。断じて、ご使命を裏切らぬように」
「そうだ、それが上策。すぐ追ってゆけ」と、関門の割符を与えてしまった。
 簡雍が馬を飛ばして、どこかへ急いで行ったというのを、郭図が耳にしたのは夕方だった。部下に調べさせてみると、その前に玄徳は荊州の旅へ立って行ったという。
「しまった!」
 愴惶として、郭図は冀州城にのぼり、袁紹に謁してこう忠言した。
「何たる不覚をなされたのですか。さきに玄徳が汝南から帰ってきたのは、汝南はまだ兵力も薄く、自分の事を計るには足らないから見限ってきたのです。こんどはそうは行きません。荊州へ行ったら必ず二度と帰ってはきますまい。それがしに追い討ちをおゆるしあれば、長駆追撃して、彼を首とするか、生捕ってくるか、どっちかにします。どうかご決断ください」
 しかし袁紹はゆるさなかった。玄徳のことばだけでは、まだ惑ったかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深く信じこんでおり、疑ってみようともしないのである。
 郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかった。
 簡雍はすぐ玄徳に追いついていた。うまく行ったな、と相顧みて一笑した。
 冀州の堺も無事に脱けた。
 孫乾はさきに廻って、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてやがて関定の家へついた。見れば――
 関定の家の門前には、主の関定やら関羽以下の面々が立ち並んで出迎えている。久しやと、相見かわす眼は、彼もこなたも、共にはやいっぱいな涙であった。



「おう」
「オー……」
 瞬間ふたりの唇から洩れたものは、それでしかない。関羽も玄徳も、無言は百言にまさる思いだった。
 関定は二人の子息とともに、門を開いて玄徳を奥に招じた。住居はわびしい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美な贅にまさるものがある。
 やや人なき折を見て玄徳と関羽は、はじめて手を取りあって泣いた。関羽は、玄徳の沓に頬を寄せ、玄徳はその手を押しいただいて額につけた。
 そのささやかな歓宴の座で、玄徳は、関定の子息関平のどこやら見どころある為人を愛でて、
「関羽にはまだ子もないから、次男の関平を養子に乞いうけてはどうか」と、いった。
 ふたりある息子のひとりである。関定は願ってもないことと歓んだ。関羽もひそかに関平の才を愛していたし、談はたちどころにまとまった。
「袁紹の討手が向わぬうちに」と、一同は次の朝すぐここを出発した。
 急ぎに急いで、旅は日ごとにはかどった。やがて雲表に臥牛山の肩が見えだす。次の日にはその麓路へさしかかっていた。
 すると、かねて関羽のさしずで、この付近へ手勢をひきいて出迎えに出ているはずの裴元紹の手下が、彼方から猛風におわれたように逃げ散ってきた。
「何故の混乱か」と、関羽は、その中にいた周倉を見つけてただすと、周倉がいうには、
「誰やら為体が分りませぬ。われわれどもが、今日のお迎えのため、勢揃いして山上からおりてまいると、途中一名の浪人者が、馬をつないで路上に鼾睡しています。先頭の裴元紹が、退けと罵ると、山賊の分際で白昼通るは何奴かと、はね起きるやいな裴元紹を斬り伏せてしまったのでござる。――それっと手下の者ども、総がかりとなって、相手の浪人を蔽いつつみましたが、その者の膂力絶倫で、当れば当るほど猛気を加え、如何とも手がつけられません。およそ世の中にあんな武力の持ち主というものは見たこともありません」
 関羽は、聞き終ると、
「さらば、その珍しい人物の戟と、この青龍刀とを、久しぶり交じえてみよう」
 と、一騎でまっ先に立って、山麓の高所へ馳け上って行った。
 玄徳も鞭をあててすぐその後につづいた。すると、彼方の岩角に、鷲の如く、駒を立てていた浪人者は、玄徳のすがたを見ると、たちまち鞍からおりて、関羽が来てみた時は、もう地上に平伏していた。
「やあ、趙雲ではないか」
 玄徳も関羽も、ひとつ口のように叫んだ。浪人者は面をあげて、
「これは計らざる所で、……」とばかり、しばしはただなつかしげに見まもっていた。
 これなん真定常山の趙雲、字は子龍その人であった。
 趙子龍はずっと以前、公孫瓚の一方の大将として、玄徳とも親交があった。かつては玄徳の陣にいたこともあるが、北平の急変に公孫瓚をたすけ、奮戦百計よく袁紹軍を苦しめたものである。が、力ついに及ばず、公孫瓚は城とともに亡び、以来、浪々の身によく節義をまもり、幾度か袁紹にも招かれたが袁紹には仕えず、諸州の侯伯から礼をもって迎えられても禄や利に仕えず、飄零風泊、各地を遍歴しているうち、汝南州境の古城に張飛がたて籠っていると聞いてにわかにそこを訪ねてみようものと、ここまできた途中である。――と語った。
 玄徳はここで君に会うとは、天の賜であると感激して、さらにいった。
「君を初めて見た時から、ひそかに自分は、君に嘱す思いを抱いていた。将来いつかは、刎頸を契らんと」
 すると、趙子龍もいった。
「拙者も思っていました。あなたのような方を主と仰ぎ持つならば、この肝脳を地にまみれさせても惜しくはないと――」



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兄弟再会_01

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 その晩、山上の古城には、有るかぎりの燭がともされ、原始的な音楽が雲の中に聞えていた。
 二夫人を迎えて張飛がなぐさめたのである。
「ここから汝南へは、山ひとこえですし、もう大船に乗った気で、ご安心くださるように」
 ところが、その翌日。望楼に立っていた物見が、
「弓箭をたずさえた四、五十騎の一隊がまっしぐらに城へ向って寄せてくる」
 と、城中へ急を告げた。張飛は聞いて、
「何奴? 何ほどのことかあらん」
 と、自身で南門へ立ち向った。騎馬の弓箭隊は、ことごとくそこで馬をおりていた。見れば、徐州没落のとき別れたきりの味方、糜竺、糜芳の兄弟が、そのなかに交じっている。
「やあ、糜兄弟ではないか」
「オオやはり張飛だったか」
「どうしてこれへは?」
「されば、徐州このかた皇叔のお行方をたずねていたが、皇叔は河北にかくれ、関羽は曹操に降服せりと、頼りない便りばかり聞いて、いかにせんかと、雁の群れの如く、こうして一族の者どもと、諸州を渡りあるいていたところ、近ごろこの古城に、虎髯の暴王が兵をあつめしきりと徐州の残党をあつめておると聞き、さては足下にちがいあるまいと、急にこれへやって来たわけだが」
「そいつは、よく来てくれた。関羽はすでに都を脱して、昨夜からこの城中におる」
「えっ、関羽もおるとか」
「皇叔の二夫人もおいで遊ばす」
「それは意外だった」
 糜竺兄弟は、さっそく通って、二夫人に謁し、また、関羽に会って、こもごも、久濶の情を叙した。
 二夫人は、人々にたいして、許都逗留中の関羽の忠節をつぶさに語った。
 張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。
 そして羊を屠り山菜を煮て、その夜も酒宴をひらいた。
 けれど関羽は、
「ここに家兄皇叔がおいであれば、どんなにこの酒もうまかろう。家兄を思うと、酒も喉を下らない」と、時おり嘆息していた。
 孫乾がいった。
「もう汝南は近いのですから、明日でも、早速あなたと行って、皇叔にお目にかかりましょう」
 関羽としては、何よりそれを望んでいたのである。夜が明けるか明けぬうちに、彼はもう孫乾と連れ立って、汝南へ道を急いでいた。
 そして、汝南城へ行って、劉辟に対面したところ、劉辟がいうには、
「いや、その劉玄徳どのなら、四日ほど前までここにおられたが、城中の小勢を見て、この勢力では事を成すに至難だと仰せられ――また各〻の消息も、皆目知れないので、ふたたび河北の方へもどって行かれた。まったく一足ちがい――」
 しきりと惜しがって劉辟はいうのである。
 一歩の差が時によると千里の距てとなる例もままある。関羽は憂いを面にみなぎらし、怏々と汝南を去った。
 むなしく古城へ帰ってきたが、孫乾はなぐさめて、
「この上は、拙者がもう一度、河北へ行ってみましょう。ご心配あるな。かならずお伴れ申しますから」
 すると張飛が、河北へなら自分が行こう、と進んで云いだした。けれど関羽は、
「いま、この一つの古城は、われわれ家なき義兄弟にとっては、重要な拠点だから君は断じてここを動いてはいかん」と、遂に孫乾を案内とし、わずかの従者をつれて、関羽は遠く河北まで、玄徳をさがしに立った。
 その途中、臥牛山の麓までくると、彼は周倉を呼んで、
「いつぞや、ここで別れた裴元紹のところへ、使いに参ってくれい」
 と、一言を託した。



 周倉はひとり関羽に別れて、臥牛山の奥へはいって行った。そこには、さきに機会を待てと止めてある裴元紹が、約五百の手勢と五、六十匹の馬をもってたて籠っている。関羽はその裴元紹にむかって、
「近いうちに自分が皇叔をお迎えして帰りにはここを通るから、その折に、一勢を引き具して、途中でお迎えしたがよかろう」と、伝言してやったのである。
 孫乾はそばでそれを聞いていたので、関羽が誰にたいしても、かならず約束をたがえないのに感心していた。
 日を経て関羽と孫乾は、やがて冀州の堺まできた。
 明日からの道は、もう袁紹の領土である。孫乾は大事をとって、
「あなたは、この辺で仮の宿をとって、待っていて下さい。拙者はただひとり、冀州に入って、ひそかに皇叔にお会いし、計をめぐらして脱れてきますから」と、告げて別れた。
 関羽はわずかな従者と共に、近くの村へ入ってただの旅人のごとく装い、村のうちでもたたずまいのいい一軒の門をたたいた。
 主は、快く泊めてくれた。数日いるうちに、その心根も分ったので、何かのはなしの折、主の問うまま、自分は関羽であると姓氏を打明けた。
 主は、驚きもしたり、また非常な歓びを示して、
「それはそれはなんたる奇縁でしょう。てまえの家の氏も関氏で、わたくしは関定というものです」
 と、二人の子息を呼んで、ひきあわせた。
 どっちも秀才らしい良い息子だった。兄は関寧といって、儒学に長じ、弟のほうは関平とて、武芸に熱心な若者だった。
 二十騎の従者をこの家にかくして、関羽はひたすら孫乾の便りを待っていた。――その孫乾は、冀州へまぎれ入って、やがて首尾よく玄徳の居館をさぐり当て、ようやく近づくことができた。
 その後の一部始終から一族の健在を聞いて、玄徳のよろこびは何にたとえんようもなかった。しかし今にして悔ゆることは、この冀州の領内へわざわざ帰ってしまったことである。
「もう一度の脱出を、どうして果たそうか。何せい、わしの行動はいま、袁紹や藩中の者どもから、注目されている折ではあるし……」
 玄徳の心は、飛び立つほどだったが、身は鉄鎖に囲まれていた。
「……そうだ、簡雍の智恵をかりてみよう。簡雍は近ごろ、袁紹にも信頼されて、おるらしいから」
 と急に使いをやって、呼びよせた。
「えっ、簡雍もここに来ていたのですか」
 孫乾は、初耳なので、驚きの目をみはった。
 その簡雍も、以前の味方だ。聞けば近ごろ玄徳を慕って、この冀州へきていたが、そう見えては袁紹の心証がよくあるまいと察して、わざと玄徳には冷淡にして、つとめて袁紹の気に入るよう城中に仕えているということだった。
 そういう間がらなので、簡雍はちょっと来てすぐ帰ったが、目的はその短時間に足りていた。
 簡雍から授けられた策を胸に秘して、玄徳は次の日、冀州城に上がり、袁紹に会ってこう説いた。
「曹操とお家との戦いは、否応なく、ついに長期にわたりそうです、強大両国の実力は伯仲していずれが勝れりともいえません。……けれどここに外交と戦争とを併行して、荊州の劉表を味方に加えるの策に成功したら、もはや曹操とて完敗の地に立つしかありますまい」
「それはそうだとも。……しかし劉表も、ここは容易にうごくまい。龍虎ともに傷つけば、かれは兵を用いずして、漁夫の利をうる位置にある」
「いや、それが外交です。九郡の大藩荊州を見のがしておくなど愚かではありませんか」
「それは貴公がいわなくても、とくに気づいて、数度の使者をつかわしたが、劉表あえて結ぼうとせんのじゃ。この上の使いは、わが国威を落すのみであろう」
「いえいえ、不肖玄徳が参れば、期してお味方に加えて見せます。なんとなれば、私と彼とは、共に漢室の同宗で、いわば遠縁の親族にあたりますから」



posted by takazzo at 12:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 孔明の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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