2013年12月03日

白馬の野

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 劉備玄徳は、毎日、無為な日に苦しんでいた。
 ここ河北の首府、冀州城のうちに身をよせてから、賓客の礼遇をうけて、なに不自由もなさそうだが、心は日夜楽しまない容子に見える。
 なんといっても居候の境遇である。それに、万里音信の術も絶え、敗亡の孤を袁紹に託してからは、
「わが妻や子はどうなったか。ふたりの義弟はどこへ落ちたのか……」
 思い悩むと、春日の長閑な無事も悶々とただ長い日に思われて、身も世もないここちがする。
「上は、国へ奉じることもできず、下は、一家を保つこともできず、ただこの身ばかり安泰にある恥かしさよ……」
 ひとり面をおおって、燈下に惨心を噛む夜もあった。
 水は温み、春園の桃李は紅唇をほころばせてくる。
 ――ああ、桃の咲くのを見れば、傷心はまたうずく。桃園の義盟が思い出される。
「関羽関羽、まだこの世にあるか? 張飛はいずこにあるか?」
 天空無心。
 仰ぐと、一朶の春の雲がふんわりと遊んでいる。
 玄徳は、仰視していた。
 ――と、いつのまにか、うしろへ来て、彼の肩をたたいた者がある。袁紹であった。
「ご退屈であろう。こう春暖を催してくると」
「おおこれは」
「其許にちとご相談があるが、忌憚ない意見を聞かしてもらえるかの」
「なんですか」
「実は、愛児の病も癒え、山野の雪も解けはじめたから、多年の宿志たる上洛の兵を催して、一挙に曹操を平げようと思い立った。――ところが、臣下の田豊が、儂を諫めていうには、今は攻めるよりも守る時期である。もっぱら国防に力をそそぎ、兵馬を調練し、農産を内にすすめて、坐りながらに待てば許都の曹操はここ二、三年のうちにかならず破綻をおこして自壊する。その時を待って一挙に決するが利じゃ――と申すのだが」
「なるほど、安全な考えです。けれど田豊は学者ですから、どうしても机上の論になるのでしょう。私ならそうしません」
「其許ならどうするか」
「時は今なりと信じます。なぜならば、なるほど曹操の兵馬は強堅ですし、彼の用兵奇策は侮りがたいものですが、ここようやく、彼も慢心をきざし、朝野の人々にうとまれ、わけて先頃、国舅の董承以下、数百人を白日の都下に斬ったことなど、民心も離反しているにちがいありません。儒者の論に耳をとられて、今を晏如として過ごしていたら、悔いを百年にのこすでしょう」
「……むむ、そうか。そういわれてみると、田豊はつねに学識ぶって、そのくせ自家の庫富を汲々と守っている性だ。彼はもう今の位置に事足りて、ただ余生の無事安穏を祈っておるため、そんな保守的な論を儂にもすすめるのかもしれん」
 ほかにも何か気に入らないことがあったのであろう。袁紹はその後、田豊を呼びつけて、彼の消極的な意見を痛罵した。
「これは誰か、主君をそそのかした蔭の者があるにちがいない」
 田豊は直感したので、日頃の奉公はこことばかり、なお面を冒して反論を吐いた。――曹操の実力と信望は決して外からうかがえるような微弱ではない。うかつに軍を出したら大敗を喫するであろうというのである。
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものとあなどるか」
 袁紹は怒って田豊を斬ろうとまでしたが、玄徳やそのほかの人々がおし止めたので、
「不吉なやつだ! 獄へ下せ」と、厳命してしまった。
 些細な感情から、彼は大きな決心へ移っていた。まもなく河北四州へわたって檄文は発しられ、告ぐるに曹操の悪罪十箇条をあげ、
「おのおの一族の兵馬弩弓をすぐッて、白馬の戦場へ会せよ」と、令した。



 白馬の野とは、河北河南の国境にあたる平野をいう。
 四州の大兵は、続々、戦地へ赴いた。
 さすが富強の大国である。その装備軍装は、どこの所属の隊を見ても、物々しいばかりだった。
 こんどの出陣にあたっては、おのおの一族にむかって、
「千載の一遇だぞ」と、功名手柄を励ましたが、ひとり沮授の出陣だけは、ひとと違っていた。
 沮授は田豊と共に、軍部の枢要にある身だった。そして田豊とは日頃から仲がいい。その田豊が、主君に正論をすすめて獄に下ったのを見て、
「世の中は計りがたい」と、ひどく無常を感じ、一門の親類をよんで、出立の前夜、家財宝物など、のこらず遺物わけしてしまった。
 そしてその別辞に、
「こんどの会戦は、千に一つも勝ち目はあるまい。もし僥倖にめぐまれてお味方が勝てば、それこそ一躍天下を動かそう。敗れたら実に惨たるものだ。いずれにせよ、沮授の生還は期し難いと思う」と述べ、出立した。
 白馬の国境には、少数ながら曹操の常備兵がいた。しかし袁紹の大軍が着いてはひとたまりもない。馬蹄にかけられてみな逃げ散ってしまった。
 先陣は、冀州の猛将として名ある顔良にも命じられていた。勢いに乗じて、顔良はもう黎陽(河南省・俊県附近)方面まで突っこんでいた。
 沮授は、危ぶんで、
「顔良の勇は用うべしですが、顔良の思慮は任ずべきでありません、それに先陣の大将を二人へ任じられるのもいかんと思いますが」と、袁紹に注意した。
 袁紹は、耳をかさない。
「こんな鮮やかに勝っている戦争をなんで変更せよというのか。あのとおり獅子奮迅のすがたを見せている勇将へ、退けなどといったら、全軍の戦意も萎えてしまう。そちは口を閉じて見物しておれ」
 ――一方。
 国境方面から次々と入る注進やら、にわかに兵糧軍馬の動員で、洛中の騒動たるや、いまにも天地が覆えるような混雑だった。
 その中を。
 例の長髯を春風になびかせて、のそのそと、相府の門へいま入ってゆくのは関羽の長躯であった。
 曹操に会って、関羽は、
「日頃のご恩報じ、こんどの大会戦には、ぜひ此方を、先手に加えてもらいたい」と、志願して出た。
 曹操は、うれしそうな顔したが、すぐ何か、はっと思い当ったように、
「いやいや何のこの度ぐらいな戦には、君の出馬をわずらわすにはあたらん。またの折に働いてもらおう。もっと重大な時でもきたら」と、あわてて断った。
 余りにもはっきりした断り方なので、関羽は返すことばもなく、すごすごと帰って行った。
 日ならずして、曹軍十五万は、白馬の野をひかえた西方の山に沿うて布陣し、曹操自身、指揮にあたっていた。
 見わたすと、渺々の野に、顔良の精兵十万余騎が凸形にかたまって、味方の右翼を突きくずし、野火が草を焼くように押しつめてくる。
「宋憲宋憲。宋憲はいるか」
 曹操の呼ぶ声に、
「はっ、宋憲はこれに」とかけ寄ると、曹操は何を見たか、いとも由々しく命じた。
「そちは以前、呂布の下にいた猛将。いま敵の先鋒を見るに、冀州第一の名ある顔良がわが物顔に、ひとり戦場を暴れまわっておる。討ち取ってこい、すぐに」
 宋憲は欣然と、武者ぶるいして、馬を飛ばして行ったが、敵の顔良に近づくと、問答にも及ばずその影は、一抹の赤い霧となってしまった。




posted by takazzo at 07:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 臣道の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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