2013年11月01日

淯水は紅し_01

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 今朝、賈詡のところへ、そっと告げ口にきた部下があった。
「軍師。お聞きですか」
「曹操のことだろう」
「そうです」
「急に、閣を引払って、城外の寨へ移ったそうだな」
「そのことではありません」
「では、何事か」
「申すもちと、はばかりますが」
 と、小声を寄せて、鄒氏と曹操との関係をはなした。
 賈詡は、その後で主君の張繍の座所へ出向いた。
 張繍も、いやな顔をして、ふさいでいたが、賈詡の顔を見ると、いきなり鬱憤を吐きだすようにいった。
「怪しからん! ――いかに驕り誇っているか知らんが、おれを辱めるにも程がある。おれはもう曹操などに屈してはいられないぞ」
「ごもっともです」
 賈詡は、張繍の怒っている問題にはふれないで、そっと答えた。
「……が、こういうことは、あまりお口にしないほうがよいでしょう。男女のことなどというものは論外ですからな」
「しかし、鄒氏も鄒氏だ……」
「まあ、胸をさすっておいで遊ばせ。その代りに、曹操へは、酬うべきものを酬うておやりになればよいでしょう」
 謀士賈詡は、何事か、侍臣を遠ざけて密語していた。
 すると次の日。
 城外に当る曹操の中軍へ、張繍がさりげなく訪ねてきて、
「どうも困りました。私を意気地ない城主と見限ったものか、城中の秩序がこのところゆるんでいるので、部下の兵が、勝手を振舞い、他国へ逃散する兵も多くて弱っておりますが」
 と、愚痴をこぼした。
 曹操は、彼の無智をあわれむように、打笑って、
「そんなことを取締るのは君、造作もないじゃないか。城外四門へ監視隊を備え、また、城の内外を、たえず督軍で見廻らせて、逃散の兵は、即座に、首を刎ねてしまえば、すぐやんでしまうだろう」
「そうも考えましたが、降服した私が、自分の兵とはいえ、貴軍へ無断で、配備をうごかしては……とその辺をはばかっておるものですから」
「つまらん遠慮をするね。君のほうは君の手で、びしびし軍律を正してくれなければ我軍としても困るよ」
 張繍は、心のうちで、「思うつぼ」と、歓んだが、さあらぬ顔して、城中へ帰ってくると、すぐその由を、賈詡に耳打ちした。
 賈詡はうなずいて、
「では、胡車児をこれへ、お呼び下さい。私からいいつけましょう」と、いった。
 城中第一の勇猛といわれる胡車児はやがて呼ばれて来た。毛髪は赤く、鷲のような男である。力能く五百斤を負い、一日七百里(支那里)を馳けるという異人だった。
「胡車児。おまえは、曹操についている典韋と戦って、勝てる自信があるか」
 賈詡が問うと、胡車児は、すこぶるあわてた顔いろで、顔を横にふった。
「世の中に誰も恐ろしい奴はありませんが、あいつには勝てそうもありません」
「でも、どうしても、典韋を除いてしまわなければ曹操は討てない」
「それなら、策があります。典韋は酒が好きですから、事によせて、彼を酔いつぶし、彼を介抱する振りをして、曹操の中軍へ、てまえがまぎれこんで行きます」
「それだ! わしも思いついていたのは。――典韋を酔いつぶして、彼の戟さえ奪っておけば、おまえにも彼を打殺すことができるだろう」
「それなら、造作もありません」
 胡車児は、大きなやえ歯をむきだして笑った。



 本尊様と狛犬のように、常に、曹操のいる室外に立って、爛々と眼を光らしている忠実なる護衛者の典韋は、
「ああ、眠たい」
 閑なので、欠伸をかみころしながら、司令部たる中軍の外に舞う白い蝶を見ていた。
「もう、夏が近いのに」と、無聊に倦んだ顔つきして、同じ所を、十歩あるいては十歩もどり、今度の遠征ではまだ一度も血にぬらさない手の戟を、あわれむ如くながめていた。
 かつて、曹操が兗州から起つに当って、四方の勇士を募った折、檄に応じて臣となった典韋は、その折の採用試験に、怪力を示して、曹操の口から、
(そちは、殷の紂王に従っていた悪来にも劣らぬ者だ)
 といわれ、以来、典韋と呼ばれたり、悪来とも呼ばれたりしてきた彼である。
 だが、その悪来典韋も、狛犬がわりに、戟を持って、この長日を立っているのは、いかにも気だるそうであった。
「こらっ、何処へゆく」
 ふと、ひとりの兵が、閣の廊をうかがって、近づいて来たので、典韋はさっそく、退屈しのぎに、呶鳴りつけた。
 兵は、膝をついて、彼を拝しながら、手紙を出した。
「あなたが、典韋様ですか」
「なんだ、おれに用か」
「はい、張繍様からのお使いです」
「なるほど、おれへ宛てた書状だが、はて、何の用だろう」
 ひらいてみると、長いご陣中の無聊をおなぐさめ申したく、粗樽をもうけてお待ちしているから明夕城中までお越し給わりたい――という招待状であった。
「……久しく美酒も飲まん」
 典韋は、心のなかで呟いた。翌日は、昼のうちだけ非番だし、行こうと決めて、
「よろしくお伝えしてくれ」と、約束して使いの兵を帰した。
 次の日、まだ日の暮れないうちから出向いて、二更の頃まで、典韋は城中で飲みつづけた。そしてほとんど、歩くのもおぼつかない程、泥酔して城外へもどって来た。
「主人のいいつけですから、私が中軍までお送りします。わたくしの肩におつかまり下さい」
 一人の兵が、介抱しながら、親切に体を扶けてくれる。見るときのう手紙を持って使いに来た兵である。
「おや、おまえか」
「ずいぶんご機嫌ですな」
「何しろ一斗は飲んだからな。どうだ、この腹は。あははは、腹中みな酒だよ」
「もっと飲めますか」
「もう飲めん。……おや、おれは随分、大漢のほうだが、貴様も大きいな。背がほとんど同じぐらいだ」
「あぶのうございます。そんなに私の首に捲きつくと、私も歩けません」
「貴様の顔は、すごいな。髯も髪の毛も、赤いじゃないか」
「そう顔を撫でてはいけません」
「なんだ、鬼みたいな面をしながら」
「もうそこが閣ですよ」
「何、もう中軍か」
 さすがに、曹操の室の近くまで来ると、典韋は、ぴたとしてしまったが、まだ交代の時刻まで間があったので、自分の部屋へはいり込むなり前後不覚に眠ってしまった。
「お風邪をひくといけませんよ。……ではこれでお暇いたしますよ」
 送ってきた兵は、典韋の体をゆり動かしたが、典韋の鼾声は高くなるばかりであった。
「……左様なら」
 赤毛赤髯の兵卒は、後ずさりに、出て行った。その手には、典韋の戟を、いつのまにか奪りあげて持っていた。


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posted by takazzo at 08:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 草莽の巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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